意図と進化とコミュニケーション

 人間は、他者という鏡を用いて自己満足を得る動物であり、そういうシステムで無い人間は、洞窟の中で自分の顔を眺めながら喜びのなかに絶滅したのだろう。二酸化炭素濃度が上がっても苦しまない、血糖値が下がっても空腹にならない人間がいたとすれば。窒息の苦しみも空腹の苦しみも味わうことなく、消滅したに違いない。他の個体の「意図」を推察する上で「視線」は重要であり、それで「顔のパターン認識能力」も進化したと思っている。
 コミュニケーション志向は、例えば他人の視線を受けたときに出る脳内麻薬の量、は正規分布を描くんじゃないかな。コミュニケーション志向が弱い個体は群れから外れ、過多な個体は群れることしかしない。環境が温和であればコミュニケーション過多な個体が有利かもしれないし、環境が苛酷になる、もしくは変化する場合、コミュニケーション以外の箇所にリソースを傾ける個体が有利になる、かもしれない。持てるリソースの全てをコミュニケーションに傾けることが進化の結果、とは限らない。
 のだった。


 もちろん、遺伝子プールの進化という話でなくて、個体やグループレベルでは意図が大事ですね。