あなたとわたしのDMZ

http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20051123#1132731153

僕がよく読んでるリベラルの人のblogとか、リベラルの人から直接聞いた意見を総合してみると、人間は相互理解という幻想に依拠しすぎて、結果「理解」出来ないものに対する排斥を強め、「相互理解」を掲げながら他者を排斥するという深刻なジレンマに陥り、それが強いストレスを生み出している、だったら「理解」ではなく「受容」「許容」「プロトコル構築」――つまりは異質なものがそこにあることに寛容でありつつ、異質なものとの接触によるコスト/ベネフィットが有為の方向になるようにシステムを組んだほうが効率が良い、という意見が出てくるのですが、まったくその通りだと思うのです。

さらにいえば、理解できないものについて感じる本能的恐怖を制圧し、十分な距離をとって相互に不利益にならないようなDMZを形成するのもひとつの手段としてありうるわけです。なんでも理解する必要はない、それはさびしいことだけど、寂しさというのは克己も代償も可能なのだから、致し方ないと思うのです。

 あなたと私、私とセカイとの間にDMZを作成するのは異質なるものとの接触による被害を最小限にとどめるためには悪くない方法で、だけど「寂しさ」は不可避となる。その寂しさをどうコントロールするかという問題が、なんか2003年秋に発売されたゲームのテーマであったような気がする。屋上で煙草を吹かせたり。屋上でアンテナを組み立てたり。