"弱さ"

http://d.hatena.ne.jp/knori/20051121/p1

先日の新聞に、少年が(なんの関わりもない)女性を殺しちゃって、その後、少年は殺人の動機を「自分はとても弱い人間で、弱さを克服したくて殺した」と言ったそうだ。「わけがわからんでしょ」とか「あう」とか呻いてたら、高校生の息子がのぞき込んできて、彼がいうには、「スパルタって国があったでしょ。そこでは成人の儀式に奴隷を殺さなければならなかったんだよ。」と、いうじゃない。あたしはたまげた。いや、スパルタに驚いたんじゃなくて、その犯罪者の少年に対する息子の理解とその発想に。

だから、その犯罪少年にとってほんとうの弱さの克服とは、女性の「助けて」という声に気づくことだったと思います。攻撃的な「支配欲」をもう一度見直すことが強くなることだったんです、少なくともその犯罪少年にとっては。有り体に言えば、カッコつけないで人(彼にとってはたぶん女性)と向き合えることが「強さ」なんですよ。

 どっちの言い分もわかるな。
 通過儀礼の果てに、なにかを獲得したかった犯罪者の少年と、通過儀礼の存在を認知している息子、そして、議論を捻じ曲げてメタな方向へ展開させた母親。
 強さとか弱さとか、そういう感覚的な言葉での会話を、さらに感覚的なメタ「強さ」で置き換えて、「弱さ」を、『支配欲、攻撃欲を制御できない』「弱さ」と解釈している。ぶっちゃけ、ジェンダー、なのかな。
 すくなくとも一回は、通過儀礼を通過しなくてはいけない男性と、性的実体に確信がもてる女性と、どっちが幸せなんだろう*1

*1:もっとも、女性の場合、男性ではないという断念を経験することになるが