memo

http://d.hatena.ne.jp/umeten/20050921/p2
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http://blog.goo.ne.jp/kamimagi

http://d.hatena.ne.jp/t-kawase/

美徳の不幸 - 「通俗道徳」の遵守と「裏切られ感」

ここから僕がふと思い出したのは、例えば斎藤環氏の「引きこもりは一般に真面目すぎるくらいの人」であるという説明だ。引きこもりや、場合によっては一部のフリーター、NEETにも、もしかしたら、なお*1と同様、道徳律に裏切られたという感覚があるのではないか?「学校で言われたとおり、真面目に真面目にやってきたけど、ちっとも幸せではない」という「裏切られ感」が払拭しがたく彼らの内面に浸透しているのではないか?だからこそ、彼らにはなかなか、「こちらの世界」(まだ、建前としては通俗道徳の世界だ)からの「説得」が届きにくいのではないか。

 通俗道徳って、ソーセージ工場の前に並ぶ豚に、「鳴かずに暴れずにちゃんと列に並ぶのが良い豚よ」といって、お行儀良くソーセージにさせるためにあるからね。親的には、鳴かず吠えず暴れない豚がいい豚なんだけど、じゃあ、そろそろ大きくなったから、自分でご飯を探してね、って言っても、豚舎から出られるわけがない、っていうのが自分の考え。特定個人や特定集団は豚だ、と言うつもりはないし、誤解を招くようなら謝罪しておく。
 


http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002593.html
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http://www.pluto.dti.ne.jp/~rinou/

人間関係が希薄化して人の気持ちが分からない都会の子供が凶悪犯罪を起こす。一見正しそうな、この見方も間違っているようだ。実際には田舎の人間関係のように逃げ場のない閉鎖的な人間関係のもつれが、最近の凶悪犯罪の動機となっている。

http://blog.tatsuru.com/archives/001229.php

「わがままな人は周囲をリラックスさせる」ということはあまり知られていないが真実なのである。
逆に「無用な気遣いをする人は周囲を緊張させ、しばしば不愉快にさせる」ということもあまり知られていないので、ここに大書しておくのである。

おばかなキャラが、主人公を救済する話は山ほどあって、お互いに気を使ってハマる話は、キーリとか、最後の夏に見上げた空は、とか、山ほどある。
 小さな感情の、快不快を「許容させる」魅力がある、もしくは、小さな関係性の切断のリスクを「許容できる」人間が、「魅力的な」わがままになれる。それっぽい言葉でいえば、イケメンDQNは周囲をリラックスさせるわがままな人になり、オタのわがままは、キレやすく、身勝手な電波な奴、になる。わがままな人が周囲をリラックスさせることは周知の事実だけど、個人個人にその資格があるかどうかはやってみないと分からず、やってみるリスクが許容しがたいのが真実ではないか。