ゲ一ム性

ttp://blog.lv99.com/?eid=146820

1.ルール(制限)があり、
2.達成すべき目的があり、
3.達成を阻む障害があり、
4.プレイヤーが目的達成のために意志決定できるもの

ttp://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20050517/1116309102

しかしゲームの面白さの本質はグラフィックではなく、壮大なシナリオでもない。いつか業界がそれを思い出してくれると良いのだが。

 はい。ここでメタな議論を言ってみる。

 美麗なグラフィック、壮大なシナリオは、
 2.達成すべき目的 に内包されていると思います。

だがしかし、もはや「ゲーム」とは「ゲームの本質+α」が「ゲーム」だと認識されているので、「ゲームの本質」が好きな者は、「ゲーム好き」と言わずに「ルール好き」と言ったほうが、すっきりするのじゃないか、と、ルール好きかつゲーム好きの私は思う。

 確かにね。ルール+"体験"が"ゲーム"、になるのだろう。将棋とか、碁だって、どこぞの柾目で作った何尺厚の板が、というふうに、"体験"部分が無きにしも非ず。上記サイトでは、ぷよのくっつき具合などに言及がされていたが、そういう操作感覚、というのが原初の+αで、美麗なグラフィック、長大なストーリー、ネコミミ、委員長、ツンデレと、+β+γ、が加わっていくのだ。
 
 コメントにあった、ビデオゲームの麻薬性、の一つは、「Aボタンを押すことで世界を変革できる」だと思っているし、それは、「分厚いクロスワードパズル集の麻薬性」と区別できると思う。キレイなグラフィックは、世界の可塑性を増すどころか、提示された世界への操作を困難にした「場合もあり」、プレイヤーの可能性を狭めたことも、原因になるのかもしれない。また、ビデオゲームの特権であった、「(構築された)世界への介入」という快楽も、ケイタイとかPCとか、そんなもので拡散されているからな。