老人に席を譲らない話

http://rakudaj.seesaa.net/article/3130212.html
 動物化したポストモダンな現代*1、社会のコードは単一ではない。弱者に配慮した社会コードも存在しうるし、配慮しない社会も存在しうることをみんな知っている。老人は、旧来のコードを純粋に信じており、そうでない若者のコードを提示されて、そこで議論の終焉をみてしまったのだ。
 おそらく、若者のコードは、便宜的なものだろう。彼が老人になったとき、弱者たる待遇を粛々と受け止め、さらなる若者に道と席を譲る、とは到底おもえないし、彼が今度は遊びで出かけているときに、通勤客に席を譲るとも思えない。彼らの納税額が、胸を張るほどのものかどうかは定かではない。もちろん、老人のコードが無力なことはいうまでもない。
 それなりに整合性のあるコードなんていくらでも作成可能であり、若者の提示したコードの合理性を問うても実りはないだろう。ただ、なんらかのコードが意味を成す、最低限の基準は、提唱者がそれに従うかどうか、そこにかかっていると思うのだ。彼が、老人も若者も納得できるコードを提示できることを願う。
 個別にみれば、ムカツク老人を、若者がやりこめたようにも見えるのだが。

 意見:個人の総納税額と総年金納付額と年金受領額を計算し、生きている年数から社会資本の享受額を計算。社会貢献度を計算してカードに記録。譲らせたいひとと譲られたいひとが、カードでデュエルを行い、パラメーターとステータスと乱数でバトルを行うのだ!

*1:この書き出しも(以下略