オレ的な美味しさ

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 「おれは」という言い方は絶対性が強い。対して、「オレ的には」という言い方は相対性が強い。
 ご飯を食べた後に感想を聞かれて、「おれはまずかった」というのと
「オレ的にはまずかった」というのとは違う。

 美味しさ、というのが個人に帰属していた時代があった、と思う。たぶん。彼らは、自分なりの「美味しさ」を持っていて、グルコース含有量が高かったり、動物性蛋白質をたくさん含んでいたり、居住地で産出されない食材を使ったものには素直に「美味しい」と言い、逆に、自分の好みと離れている塩分や茹で具合の食品は、恐れることなく不味い、作り直せ、と言えたのだろう。彼らは、「美味しい」という概念が、自分の舌と化学物質の血中濃度と脳内の記憶に帰属すると心から信じていた、と思う。
 ポストモダンな今日この頃では、美味しさは個人に帰属するものではなくなった。「このなんとかは美味しい」と口にだそうものなら、
 ・これは化学調味料がたっぷりのニセモノである
 ・これは、農薬がたっぷりの(以下略
 ・これは、産地がどこで政治的に正しくない(以下略
 ・これは、塩分が多く、健康に(以下略
 ・これは、どこどこの模倣であり、オリジナルを食べていない貴方に批評する資格があるのか(以下略
 ・これは、あなたにとっては新規性のある食材と調理法であるが、既に日本では(以下略

 と、美味しさに対する挑戦、美味しく感じる自分に対する挑戦と戦わなくてはならない。やかましい他人、相対化を叫ぶ自分の中の声に打ち勝って、自分のものさしを主張するのは、困難な時代ではないか*1

*1:もちろん、相対化の誘惑に打ち勝って自分の価値観を主張し、他人を貶めることで自己を確立しようとする悪弊を超えることこそが求められているのだろうけど