http://d.hatena.ne.jp/tonbo/20041023#p1
このへんとか
http://d.hatena.ne.jp/kirisakineko/20041020#p1
このへんとか
http://twink.fem.jp/weblog/index.php?mode=res_view&no=77
このへんとか。
定義が割りとはっきりしているものとして、「教養小説」「ビルドゥングス・ロマン」がある。
http://www20.big.or.jp/~stj/blogs/000234.html
ビルドゥングス・ロマンというのは、まあぶっちゃけた話が「少年の成長物語」である。無知で無力な少年(少女でも可)が、世界と出会い、そして世界との関わりかたを知っていくという物語。近代小説の古典的で典型的な形態であり、広義に解釈すれば現在のほとんどの物語はビルドゥングス・ロマンだと言えるだろう。
しかし、現在では真の意味でのビルドゥングス・ロマンは限りなく少ない。その理由は二つ。物語という形で「世界」をトータルに描くことが難しくなっていること。そして、「世界」に対して個人が関わりうるということを、リアルに描くことが難しくなっていること。
例外的に健闘しているのが、実はロボットアニメの世界だ。ロボットという巨大な力を媒介にして、主人公は「世界」に関わっていくことができる。
しかしそれでも、ごく一部の傑作のみがギリギリのところで成功しているに過ぎない。
だから、最近では「世界」の代わりに「日常」を描くのが普通の方法論である。「日常」でも、徹底的に描き込めば「世界」を感じさせることはできる。
・「青春」とは未定義語である。従って、青春小説を定義することはできない
といってしまってもいいのだけどね。
えーと、社会に所属していない、無知で無力で自由な少年期と、力を持つが、社会に束縛される大人(というか、社会的役割を受け入れたのが大人だ)、その中間にある、不安定で自己の確立を求めざるを得ない、思春期というか青年期。このへんをテーマにすると、青春小説っぽくなるとは思う。逆説的にいえば、成人になる前は発言権も自由も与えられず、通過儀礼を通過し(RR)、大人になると同時に強制的に部族に組み入れられる、そんなセカイでは青春、思春期なんてものはないわけで。
もう一つ。ここで、セカイのもう一つの構成要素、家族を考えてみる。多分、おそらく、単なる快不快、好ましい好ましくない、こういう感覚で異性と接するのが「少年期的」、ある程度強固で持続的な(そして、おそらく肉体の接触を伴う)関係を施行するのが「青春的」、子供をつくることを含め、家族を意識して(家族にならないという選択を含め)関係性を選択するのが「大人的」と言えるかもしれない。言うだけならタダだし。
・青春小説と思ったものが青春小説だ。
・社会的役割を受け入れることができず
・異性を欲するが、家族という関係には戸惑いを覚える
・そんな小説が青春小説っぽいと思う。
どこかで、GOSICKが―――小説か否か、という話があった。
個人的には、どうでもいいので、誰が―――小説というラベルを張ろうが、どうでもいい。SFでもミステリでも純文でもホラーでも、あなたが思ったものが、そのジャンルです、という立場をとろう。
だが、例えば、自分が、本屋か雑誌かの企画担当で、秋の夜長に青春小説!とか、読書の秋にはミステリー!!とかいう企画があったとして、そこにGOSICKを選ぶかというと…
あーー、ねぇ。