年度別エロゲ&ラノベのアニメ化本数

http://d.hatena.ne.jp/sixtyseven/20061010/p2
相変わらず素晴らしい統計。並べるとおもしろい。ちょっとラノベが遅れてアニメ化の本数が増えている。


参考:エロゲ原作アニメリスト
http://gilcrows.blog17.fc2.com/blog-entry-614.html


2005年以降、ラノベのアニメ化
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060424/1145886351


"糞ゲー・地雷ゲーをあえて誉めちぎるスレ」をあえて保存するWiki"

http://www.border.jp/mineerog/index.cgi?page=FrontPage

錯誤の話題

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061011/1160522593
たとえば、
「(スポーツカーが好きなんだけど)悪路を走る人には、SUVをお勧めする。」
という文章から、
SUVをお勧めする。」
だけ抜き出すと、筆者がSUV好きに見える罠。
こういう修辞法を使い、ばれるとEvil認定されるし、だいたい書籍と違って、簡単に原文が参照できるので使いどころが難しい。
リンクしない、という手法もあるけど、言及先のエントリーは読者も既に読んでいたりするので、リンクしない意図が問われちゃったり。
信用の総量が多いテレビや新聞ならともかく、個人でこれやるのは影響まで考えると結構難しいかも。

あるBlogのある日のアクセス

# 264 http://reader.livedoor.com/reader/
# 170 http://d.hatena.ne.jp/
# 162 http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=hot
# 141 http://b.hatena.ne.jp/hotentry
# 140 http://b.hatena.ne.jp/

 この順番。
 なんとなく、reader.livedoor.comの存在感が。
 はてなだと、idごとにばらけるのも理由だけど。

粘着気味に例の話題

 我々は、一人の個人としてだけでなく、国民として、市民として生きるべきだと思う。
 だいたい、8割、1割、1割くらいの比率ね。
 税引き後の所得をどうつかおうと、税引き後の所得を寄付してもらおうと、彼らの勝手だ。
 もちろん、死にそうだからといって、国民の義務、市民の義務が無くなるわけではない。でも、実質ないか。
 個人として個人に寄付をし(しなくてもいい)、国民として、市民として、同じ国民、市民に対して意見表明をすればいいと思うの。
 個々人が、国家を代表する形で個人を非難するんで軋轢が起こると思う。
 まあ、命の危機を訴えて、公的な義務を吹っ飛ばすのはいつものアレなんだけど。

ボクの考える医者ゲー

http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20061007#p1
 実は、この中でプレイしたことのあるの二本だけ(それも途中)。
 なんだけど、ちょっと妄想してみる。


 主人公は医者。医学生時代、友人を事故で失い、そのショックで記憶が一部失われている。
 ヒロインと大学病院でキャッキャウフフとやっているうちに、病院に事件が起こる。
 入院患者がヘンな影を見た。死体が紛失した。
 主人公は、病院の怪異と、そして自分の過去と対決する。


 井戸に!!


 …こうですか?わかりませんっ><

拷問

 一時期、興味があって文庫本を何冊か読んだことがある。
 結局、優秀な拷問吏にかかれば、向こうが言わせたいことは全ていうことになるし、最終的には向こうの調書にサインすることになる。折れた手にペンを持って、拷問吏が手を添えてサインすることになるかもしれない。で、出来ないことは、いくら拷問しても出来ない。知らないことは言えない。円周率を100万桁まで言えない。飛影はそんなこと言わない。
 なので、具体的な拷問道具なんかは、嗜虐心の満足や、拷問それ自体が目的であるのだろう、とそう考えている。

 

「物心」のついていない人たち

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061011#1160521802
自分のことを言われているようなので*1、ちょっと書く。

「内包」という概念

 「心の理論」という言葉がある。
「私は考える」が一次
「あなたが考えると私は思う」が二次: (二歳から4歳)(チンパンジーオラウータン、ゴリラ)
「私が考えているとあなたは思っている、と私は思う」が三次。
同様に続いて、五〜六次:(大人)
 こういう、内包という機能が働かなくても、何かを分析することは出来そうだ。でも、この機能が働かないと、歴史を動かす誰かさんを想定することは難しいかも。

「大人の思考法」とは抽象思考を指す。別な言い方をすると、石原千秋から引くと、国語は「おマセさん」ほど得点できる科目だ。つまり「大人の考え方」がトレスできる生徒は得点でき、「大人の考え方」がトレスできない生徒は得点できない、という科目だ。

 これはまさにそうで、文章を読む出題者の姿を仮想しないと高得点は難しい。逆に、馴れていれば、タイトルを見ただけで文章も設問もよまないうちから解答が想像できたりする*2

で、

で、抽象思考を理解できず、歴史の因果関係を理解できず、客観という概念を理解できない人というのを、まあリアルで見ることは幸いにしてあんまりないんだが、webではわりとよく見かける。「ネット右翼」とか「ネットゾンビ」とか呼んでいるあの人たちのうち、カルトやヤクザの工作員ではない素の人びとは、この「物心」がつかないまま歳を経てしまった人たちなんだろうな、と思われる。ならば、その意味、彼らを「ネット『右翼』」と呼ぶのは「褒めすぎ」だ。私は反省しなくてはならない。

 因果関係*3というのは、あるアクションと、それを受けた別のプレイヤーが何かを考えてリアクションを返し、という、数多いプレイヤーを想定しなければならず、その作業には多量のヒープを多量のブドウ糖を脳内で消費するので疲れる。一方的に、言いたいことをアナウンスするだけなら、並立すべき他者を想定しなくて済むし、マウスをクリックしリターンキーを押すたびに脳内麻薬が出るので楽しい。
 

*1:という前置きはやめたほうがいいかな

*2:だから、俺は旧帝大にもマーチにも行ってないって。と注釈

*3:因果関係という言葉について議論するのも面白いけれど、やめておく。引用文では適切に使用されている。