"専門分野において専門的なブログが負けてしまう矛盾"

A

エロ漫画誌の表紙画像を貼るだけで10users越え。

id:kanoseさんはまさにアルファブロガー

 ここにエロ漫画誌の表紙画像を貼り付けても、ブクマされないだろうけど、dankogai氏やfromdusktildawn氏が貼り付けたら、アルファブロガー御乱心、といって100usersいっちゃうかも。そういう話?

B

 たかみち氏は、「果てしなく青い、この空の下で」という、一部で評価の高いエロゲの原画をしていた。で、TOPCATが雪色で緒方剛志ブギーポップでPGはペログリじゃなくてピュアガールで。
 TOPCAT解散後、たかみち氏はInclusionなど、いくつかの原画を担当していたけど、売れ行きはまあ、芳しいとはいえない範囲。
 LO、はスタート時より、たかみち氏の表紙をイメージにしていて、Amazonを利用すると、こうやって並べて見られて幸せ。


 表紙絵がいいねとKanoseが言ったから八月十九日はたかみち 記念日
 
 という話?

"倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で、「なぜ子猫を殺してはいけないか」を説明してください。

説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。"
http://q.hatena.ne.jp/1156216901/36385/#i36385


http://q.hatena.ne.jp/1156216901/36385/#i36385

猫殺しは、一般人から見た場合の「理由の無い殺害」と同義である

と考えてよいのではないでしょうか。

 再帰的。
 

【どうして勉強しなきゃいけないの?】

http://q.hatena.ne.jp/1124539258#a385480

学習塾で助手をしているのですが、小学一年生の女の子から先日ついに「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いを投げかけられました。


http://q.hatena.ne.jp/1124539258#a385480

。。。とは言ったものの、これらは全部屁理屈で、現実には、先生の魅力次第なのよ。教える先生が、勉強のホントウの面白さがよく分かっている、人間的にもめっちゃ魅力ある子供以上に子供っぽい先生なら、その魅力は、いくらでも子供たちに伝えることができる。問題は、そういう勉強の楽しさが全身からあふれてくるような、勉強の面白さを子供たちに伝えるために労をいとまない先生が、めっっっっっっっっっったにいないということだね。だから、ここで書いたことは、みんな机上の空論で、そういう先生自体が、直接子供に語りかけないかぎり、その女の子の納得のいく答えにはならないと思う。

 こちらもちょっと再帰的。



 おそらく、人間には「未知のものを解明する」欲求がある。誰かが、この欲求を満たして喜ぶ姿を見ると、自分もそれを追体験したくなる、のだろう。メディアコンテンツはこれを煽ってチケットやDVDを売ったりする。リアル世界でこれを体験することは、結構難しい。問題は大きく、複雑すぎるし。

軍需は儲かる?

 なら、銀行でもサラ金でもお金を借りて、1000万円でも1億円でも株を買ったらどうだろう?軍需丸儲け。
 凄い配当になるに違いない。
 よかったね。

Lockheed Martin Corporation

http://jp.moneycentral.msn.com/investor/charts/chartdl.asp?Symbol=US:LMT&ShowChtBt=Refresh+Chart&DateRangeForm=1&CP=0&PT=8&C5=8&C6=2006&C7=8&C8=2006&C9=2&ComparisonsForm=1&CE=0&DisplayForm=1&D4=1&D5=2&D3=0&ViewType=0&PeriodType=8
 でも、これだけみると、株価低迷→テロ自作自演、アフガン侵攻  再び株価下落→イラク侵攻
 と見えなくも無い(w

命題A、命題B、すべての条件下でA>Bは成り立たつとは限らない。

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20060823/p2

 結局、すべては人間側の事情に過ぎないのに、「かわいそうな猫を救うため」といった美しい言葉を掲げることは正しいのだろうか。よくわからない。

 共感の切断、管理下に入った人物の殺害、は倫理的に良くないものと考えられる。だから、南京とかアウシュビッツがアレで、ドレスデンや東京やヒロシマがアレで、バターンがソレで、スターリングラードがコレなのだ。
 正しいとか正しくないとか、美しいとか美しくないとか、価値というのは人間の事情でしかない。

この小説の舞台はある近未来社会で、そこではプランクトンかなにかを加工することによって、あらゆる食物を生み出せる。もはや生身の生き物を殺して食べる必要はないのだ。

 プランクトンにも無制限の生の肯定を!

 そこで、あらゆる生き物を殺して食べることに反対する運動が起こる。味覚の面から考えても、その必要は少しもないのに、なぜあえて殺戮を犯す必要があるのか? そして人類社会を二分する大激論が起こるのである。

 その時代、クジラとミンクとイルカの生命活動を停止させることは殺戮とよび、イスラム教徒の居住地にクラスター爆弾を叩き込むことはテロ対策と呼んでいたりして。