命題A、命題B、すべての条件下でA>Bは成り立たつとは限らない。

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20060823/p2

 結局、すべては人間側の事情に過ぎないのに、「かわいそうな猫を救うため」といった美しい言葉を掲げることは正しいのだろうか。よくわからない。

 共感の切断、管理下に入った人物の殺害、は倫理的に良くないものと考えられる。だから、南京とかアウシュビッツがアレで、ドレスデンや東京やヒロシマがアレで、バターンがソレで、スターリングラードがコレなのだ。
 正しいとか正しくないとか、美しいとか美しくないとか、価値というのは人間の事情でしかない。

この小説の舞台はある近未来社会で、そこではプランクトンかなにかを加工することによって、あらゆる食物を生み出せる。もはや生身の生き物を殺して食べる必要はないのだ。

 プランクトンにも無制限の生の肯定を!

 そこで、あらゆる生き物を殺して食べることに反対する運動が起こる。味覚の面から考えても、その必要は少しもないのに、なぜあえて殺戮を犯す必要があるのか? そして人類社会を二分する大激論が起こるのである。

 その時代、クジラとミンクとイルカの生命活動を停止させることは殺戮とよび、イスラム教徒の居住地にクラスター爆弾を叩き込むことはテロ対策と呼んでいたりして。