あちらの目次が自動的に表示されないかあとで試してみよう。

http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20060526
# 二周目に追加される選択肢
# 長門アフターお願いします
# 涼宮ハルヒの最終回
# 次回作は『さよなら長門

いろんな角度から斬られまくりの涼宮ハルヒシリーズ:ハルヒ論ポータル

http://d.hatena.ne.jp/wits99/20060524

あの女の匂いがするなの

http://d.hatena.ne.jp/Kadzuki/20060525#p1

nanoha mad movie hutari

http://www.youtube.com/watch?v=eSLQSz3B0G8

なのはMAD、Fatally。なんというか普通のエロゲオタとしては再起不能にされた作品の主題歌だけに、ついつい脳内でオリジナル版再生。

"民主主義というのは、歴史的にも世界的にもかなり優れた方の概念だとは私ももちろん思う。だけど"

http://d.hatena.ne.jp/judge/20060526/p1

民主主義というのは、歴史的にも世界的にもかなり優れた方の概念だとは私ももちろん思う。だけど、それを妄信しても、またちょっと違うのかな、と思う。

ライトノベル、主人公論

 殺して感動させようなんてことの是非を今更どうこう言うつもりもありませんが、だからっつって本人は存在まで消滅させられた上に、かつて彼女がいたところにはいまやヒロインがふんぞり返ってるわけですよ。えええー。それどうなのよ。

もしかして踏み絵?

電ユーは、ネオ・トキオシティ港区新新橋、

潮留グローバルサイトにリアル本社を置く日本発の個人ニュースサイトポータル。--http://d.hatena.ne.jp/kagami/20060526#p5

 大手個人ニュースサイトが、さらに巨大化した未来の姿を。

"あなたの文章を殺すのは誰か。"

http://d.hatena.ne.jp/nekoprotocol/20060525/1148560975

Blog大戦略

 Webで何かものを書くというのは、一つの軍事行為です。国境線の内側で、専守防衛を保つなら、わりあい平和です。でも、自意識という領土を広げようと、進軍する場合には色々気をつけないといけません。


 何かを扱き下ろしたり、非難すると、戦闘になります。真面目に非難しても戦闘になりますし、よくあるのが軽い気持ちでの非難です。自分の好きな何かを褒める為に、違う何かを腐したり、自分の知らない何かを笑うというのは結構やりがちな行為です。これは、他人の自意識の領土に侵攻することなので、戦闘の原因となります。これは防衛戦でなくて、侵攻しての戦闘なので、結構難しい戦いになるでしょう。謝罪し停戦し、さっさと国境線まで後退すればいいのに、と思うこともありますが、「俺はそんなつもりじゃ無かった!こっちにも被害が出た!やり返すぞ!!」と、どんどん戦局が拡大することもあります。


 文章を我が子のように可愛がり、Blog大戦略で殺される事を悼むような人がいるようです。そういう人は、侵攻した自軍が傷つくのをみて、戦闘をやめるのかもしれません。が、Webには、ネタ文章を攻撃に利用する人たちがいます。文章で他人の自意識に侵攻し、反論され全滅したとしても、「あ、それネタだから」「ネタにマジレスカコワルイ」。なんていうことでしょう。侵攻された側は、戦場が荒野と化した挙句、自軍の奮闘もただの徒労に終わり、国家予算を消耗しただけに終わってしまうのです。ネタBloggerは、自意識とネタという外面を切り離しているため、本体への阻止攻撃も効きません。普通は、局地戦を終わりにするため、背後の重要拠点、倫理とかそういうものに攻撃を掛けたりするんですけどね。


 クリリンされたけど、このまま続けます。国威発揚をしたいけど、戦争は避けたいとき、もしくは、相手に圧力を掛けたいけど、戦闘は避けたいとき、示威行動をします。変換間違いをDelタグでくくるとちょっとウケるかもしれません。艦隊を連ねて公海を航海し、演習を始めたりします。すると。
 「クリリンのことかーッ!!」と、近隣諸国がいきなり戒厳令に入ったり、ドカ貧ジリ貧、外交ルートで沈静化を図らずにいきなり攻撃にはいってきたりします。相手に準備をさせず、奇襲を掛けたほうが勝率があがる、ということかもしれません。戦争にならないように、あえて侵攻せずに、公海上の軍事演習で圧力をかけようと、海に向かって艦砲射撃をしていると、第三国の船が飛び込んできて、畜生やりやがったな、反撃してやる、と戦火が拡大していくのもよくある姿です。つまり、不特定多数、不特定小数、どれでもいいのですが、なにかカテゴリーに向かって遠距離砲撃すると、誤爆したところから反撃を喰らう可能性があるということで。もっとも、Webには、見えない自由が欲しくて見えない銃を撃ちまくったり、撃ち抜けない砂糖菓子の弾丸を撃ちまくる人たちも多く、下手に撃ち帰すとその弾丸が第三者に着弾し、とキリがありません。
 まあ、国内の演習場で演習をするのは自由ですが、国境沿い、公海、DMZ、そういうところで射撃するときには注意した方がいいでしょう。


 自軍だけの話ではなくて、他国との同盟まで視野にいれると、どちらかというとBlog三国志になるかもしれません。この場合大事なのは、戦闘よりも戦略、戦略よりも政略です。あっちと闘ったと思ったら直ぐに和睦して和平を結び、別の国では過去に侵攻しておいて、さっさと和平を結び、なんか軍事同盟を結んで戦闘国家と殺り合う、そんな姿もみられます。友好国の友好国が敵性国家だったときにはどうすればいいんでしょうね。まあ、ちょっと位交戦しても、外交ルートは切らない、戦略爆撃など、全面戦争に踏み切らない、など理性を残して戦えば停戦するのもそれなりに難しくないのですけど。

"ライトノベルを頻繁に語るサイトは、目につくところに自分のライトノベル観を提示しておくといいんじゃないかな"

http://d.hatena.ne.jp/megyumi/20060526/p5

定義不可能であるはずのものについて、当たり前のように議論がなされる。これは非常に奇妙なことです。なぜそんなことが可能なのかといえば、議論する人々それぞれが自分の中で最大公約数的な「ライトノベル像」とでもいうべきものを作り上げ、それに対する議論をしているからです。私はその「ライトノベル像」がどういうものであるか、というのを、きちんと言語化されたものとして提示したいと思っているのです。

http://d.hatena.ne.jp/USA3/20060522#p1より

平原と街道と町のはなし

http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20060525#1148518326

ライトノベルを「挿絵があって、独特の技法が使われていて、独特の文化がある」ものとして捉えるのは、克服されるべき問題意識であるような気がしたのですが。

 創作平原のこのへんに、文芸地方があって古くから栄えていました。また、あのへんはイラストと呼ばれる地方があって近世になって栄えてきました。この、二つの地方を繋ぐ道は次第に整備されてきて、いまでは立派な街道です*1、その真ん中らへんに、生まれたのがラノベ町です。
 この町は、文芸地方からも、イラスト地方からも交流があり、いろんな髪の色、いろんな目の色のひとたちが、この町に住んでいます。両方の風俗を取り入れた品物が生まれ、それは結構人気になっています。この町で一山あてて、文芸地方へ引っ越す人もいるし、文芸地方で育ち、一攫千金を目指してこの町で商売を始めようとする人もいて、活気に溢れています。
 この町には領主様はいません。商人たちの合議制で運営されているようです。なんとかじゃなければ住んじゃいけない、住むなら何々しろ、そういうお触れは出ていません。川の向こうの古代都市を教訓にしているのでしょうか。かつて栄華を誇ったその都市では、命令絶対規則は一杯、街に入る際には資格が必要だったとか。だんだん、旅人も減り、住民も減り、賑やかさも失われていったそうです。まあ、そんな歴史を考えているのではなくて、単に面倒なだけかもしれません。人が一杯いたほうが、品物が売れるし。
 
 あ、そうそう。この町には、城壁がありません。柵があるところもあるし、自然の境界が境(RR?)となっている場所もあります。町の発展につれて、繁華街は南に移ってきているようだし、城壁をつくってしまうと不便ですね。繁華街があって、旧市街があって、新市街があって、原っぱがあって、それでいいんじゃないかと。高い城壁を建てて、ここはホンカ区、こちらは新ホンカ区、おまえはこっちへ入るな、いやお前があっちへいけ、と、どんどん城壁を建てては新市街をつくっては新しい住人を呼んでは古い住人と中略後略。

*1:高い山が見えるので富士見街道と呼ばれるとか呼ばれないとか