ホロウ、みんなでバーベキュー。(かぼす。)

http://daruman.at.infoseek.co.jp/
via http://www3.tky.3web.ne.jp/~riverf/
桜の舞う境内で繰り広げられるバーベキュー。やや広角な画面で、左下の主人公、桜、イリヤ、そして画面奥へ広がる空間と花見に興じる23人(?)の位置関係にたまらなく萌え。特にカレン。

オートアンカー

http://cres.s28.xrea.com/soft/aa.html
via http://s03.2log.net/home/singbrain/archives/blog155.html
こんな便利なものがあったのか。いや、探していなかっただけなんだけど。個人的に、リンクはずらずら並べる方向で。

" ライトノベルマニア度チェック"

http://kantei.am/1554/

無料で鑑定が出来るっていうサイトで、作ってみました。

ここ数年内でアニメ化されているメジャー作品を中心に問題を作成してみました。

20問のチョイス。ちなみに79点。

瞳論〜前章〜:"萌え理論〜可能世界の恋愛感情〜"

http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20060219/p2

新しい論点を追加すると、人間は文字を認識できるので、

デフォルメした顔も理解できる、という発想もある。

 現実との参照では、ネオテニー、記号との参照という観点からは、コードの整備とリテラシーの向上(動ポモなデタベ)、あと、認知の観点だと、人間の脳はBMPJpegでずらずらデータが流れるのではなくて、部分部分の認識が先行するんじゃないか、そんな話かな。夏目氏と動ポモの偉い人と認知の人が詳しい。あと、画像直リンは条件に注意したほうがいいかも。

"あんよ流・考察の書き方"

http://www.puni.net/~anyo/etc/method.html
出遅れたけどここに記載。
ハルヒ論争は楽しかったな〜。ハルヒドクロちゃんも、そして電撃ラノベも冷静に評価できる時期だとおもうんだけど。

"仮面と顔のサブカル的三題噺"

http://d.hatena.ne.jp/syukuse/20060218#p2

ひとつは映画「スパイダーマン」。スパイダーマンとヒロインが最初のキスをするシーンの倒錯感、あれは何か。逆さまのまま、マスクを半分だけ口元まで脱ぐ中途半端さ、そして夜・雨。顔が半分しか出てない相手と、逆さまにキスをする。あの倒錯感は一体何か。

ふたつめ、実写映画「キャシャーン」。あのキャシャーンはなぜ「無帽」だったのか。研究所の崩壊でヘルメットが失われていくシーン。そしてキャシャーンは(今度は)口元だけ覆い、ズラなしで戦う。あの、やっぱり中途半端感。不全感。こっちは明らかに「去勢」と関係ありそうなのは分かる。監督は無帽にした理由をどこかで語っているのだろうか(知っている人がいたら、教えてください)。

それから三つ目、今度はプロレス。獣神サンダーライガー、彼の試合は往々にしてマスクが脱がされ「かかる」。しかしライガーが山田さんであることはプロレスファンには周知のこと。だから試合相手がマスクをはぎとる=正体をばらすことは何ら意味はない。しかし相手はライガーのマスクを取ろうとする。いや、正確には、常に(やはり)中途半端に取るに留まるのだ。マスクが取れかかったり、部分的に引き裂かれたりして、中途半端に素顔が見えたままライガーは戦い続ける。その試合を見ているときに起こる、不思議な感情とは一体何か?

 固有性とか身体性が、それを隠蔽したキャラからはみでてきた瞬間?

イラストと写真表現

http://d.hatena.ne.jp/carrion-crow/20060209/p1
via
http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20060219/p1

写真つーのは、レンズの光学的な性能に、良くも悪くも制約を受けてるワケだけど、もともと好きに書けるはずのイラストに、そういう写真的な表現が盛り込まれるってのは、どういうコトなんだろうか。とか。 考えただけで、別に面白い結論は出なかったけど。

 前置き略。
 暗黒や閃光を表すのに、黒や白での潰れ、そんでレンズフレアを利用する技法が映画やらスチルで開発され*1、アニメ経由で?イラストに取り入れられたのかな。シャッタースピードの制御で動きを表現したり。周辺光量の減少とか、レンズの歪とか、写真の技術上の制約も生かしたり生かさなかったり。


 あと、透視図法自体はルネサンスの頃からあるけど、視点と画角のコントロールによる表現は、写真とか映画で広まったのかな。広角レンズで近づいて背景を小さくして遠近感を出したり、望遠レンズで遠くから写して背景を整理したり。


 書くのは自由だけど、それを認知するためには文化とか生理とかミームなんかで組み上げられた脳内の認知回路を経由する必要があり、認知回路を作動させるよい例として写真表現が参照されるんじゃないかな。文章の場合それが神話(以下略。

追記

http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20060219
こちらで、技術的なことが解説されています。感謝。
本当は映画論やアニメ技術論を調べた上で記述するべきなんだろうけど、まあ、釣りだと思ってご容赦下さい。
さて

 でも、アニメは映画よりも新しいけれど、イラスト――一枚絵は写真よりも古い。

 そこの関係はどうなっておるのか、とか。

 解剖学的妥当性をもつデフォルメ(夏目氏が得意な分野?)や幾何学的な妥当性を持つパース表現は、文化を問わず認識されそうだけど、記号表現は文化に依存する、そんな印象を持っています。レンズフレアの表現とか。


こちらでは美術史上の観点から。
http://d.hatena.ne.jp/giolum/20060219

 幾何学的遠近法から逸脱した絵画と言うと16世紀のティントレット、17世紀のエル・グレコなどが知られていますね。明確に意識して画角をコントロールしているものとしては16世紀のハンス・ ホルバイン「大使たち」の歪んだ髑髏が有名です。また聖堂の壁画などでは、一つの視点から自然に見えるように端ほど歪ませることがあったようです。

*1:つまりそれを受け取るリテラシーが発見されたか、開発された