you@ひぐらし

http://www.geocities.jp/iwamud/
via
http://d.hatena.ne.jp/genesis/

劇中で流れる“you”は実に良い曲ですね。作者(dai氏)のサイトから頂いてきて,先ほどから流し続けています。

# ##### 『何となくAIRっぽい曲ですね。』

# ##### 『AIRと言えば「AIRARIA」の夏影は無駄に素敵です。なんとなく思い出しました。』

# ####### 『菊次郎の夏とか言うのも禁止だよ』

アキバBlogとサイト論

http://www.akibablog.net/archives/2006/02/blog20.html
アキバBlogは、一日30万AXS*1を誇る強力なBlogで、なんか集団でやっているんじゃないかと思うくらい。


 今回、一月の人気エントリーを発表していたのだが、エントリーにはアクセス論についてリンクが紹介されている。そのチョイスがセンスあって面白い。

*1:こういうアクセス数の書き方を発見

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"萌えブログ、五つの黄金律"

http://anime.moeblog.jp/content/0000010278.html

こんな萌えでブログを書きたひ 五つの黄金律(初級コース)
# 流行っぽいのでw

以下、リンク先にて。


下記の、アクセスアップの記事も興味深い。
http://anime.moeblog.jp/content/0000009753.html

セラムンに寄せる、オタクの精神分析

http://www.asahi-net.or.jp/~tn7k-asg/sailor-index.htm#index

 ところが、このような、赤ん坊の自発的活動性に干渉的・抑制的な対応をする傾向が 「おたく」の親の場合は平均よりやや顕著である可能性があるのではないかと思う。ここで言う「干渉」には、一見肯定的でいながら、子供の行動につき合い過ぎる傾向、あるいは、親の願望を子供に投影して先回り的に満たしてあげようとする傾向のみが過剰で、子供自身の自発的探索に先回りしていろんなものを与え過ぎたり、親が期待する何らかの活動に誘い込もうとし過ぎる傾向も含まれるだろう。これはこれで子供の自然な自発性の発露を殺しているのである。


 恐らく親の方が、子供が勝手に自分から分離−個体化して、子供に「見捨てられて」しまうのを恐れて、子供に無意識的にしがみつき、コントロールして支配下に置こうとしているいていることの結果である。要するに親の方に子供が「親離れ」していくことに耐えられる心の安定がないのだ。それが得てして「愛情」「子供の早期教育」という名の過干渉を産むのである。

 ところが、「再接近期」に、内発的自発性をむしろ撤去しないと親に受容されない体験ばかりが優位になってしまった子供の場合は、この時点であっさりと『偽りの自己』のみによる適応が優勢となり、「手のかからない『いい子』」としての道を歩み始める。

http://www.asahi-net.or.jp/~tn7k-asg/sailor5.htm

 この段階で、『再接近期』に自発性をスポイルされた『偽りの自己』による適応タイプの人物の未来は両極端の二通りに別れはじめる。

 すなわち、一方は、

1.自分が実は未成熟であるということを見事に覆い隠してくれそうな『鎧』としての、何らかの社会的な価値を身につけようと過剰なまでの努力を始める場合

である。

 要するに、従来受け身的だった『偽りの自己』による現実適応をより高度なものに高める方向に能動化することによって切り抜けようとするのである。

 そしてもう一方は、

2.失われた周囲との一体感を、虚構の世界の登場人物(あるいは自分の存在を超越したカリスマ的なもの)との関係、あるいは、その虚構の世界(超越存在)を愛している他の同好の士との関係の中で癒そうとする場合。

 幼児期の再接近危機から、オタへの道を歩むまで。この記事が、1994年の発表というのがなんかすごい。読み込んでいないのがアレだが、男女のオタ親和性への性差が、どのへんで生まれたんだろう。

"どっちもどっち"

http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/84d7cdb67425635f984cb32fd95479dd

アシュタサポテ(2005/12/19)

要するにどちらの説も議論をなすには決め手に欠け過ぎるため、幾ら調べても言い合っても泥沼に陥るだけじゃないか、という予感がまず強い。そしてこの状況で幸せになるには、研究なり体験なりにより信仰を得ることだけじゃないのか、と思う。つまり「自分は知力と労力の限りを尽くして納得の行くまで調査と研究を行いこの結論を手にした、玄米は体に悪い」と記して安心決定を得るか、「私は何十年玄米を食べ続けて病気を克服した、今では風邪ひとつひかない、回りの玄米食の人も皆恐るべき健康体で長生きしている、よって玄米は体に良い」と解脱して布教を始めるか。そんなのどっちもどっちじゃないか。

 「そんなのどっちもどっちじゃないか。」メソッド。
 すべてを相対化しているわけではなく、食生活の寿命への寄与は多くない、という至極もっともな意見。

「なあに、免疫力がつく」

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060129/1138503389

障碍者職業訓練校の先生の話では、「建物にあえて少しの段差はつけてほしい」と聞いたことがあります。これは、現実の社会に常にバリアがあることを前提としたお話なのでしょうが、乗り越えられない段差はともかく、「全く段差をなくすようにはしないでほしい」と言葉は、それなりに意味があるのかな?とは感じました。

 少し段差があったほうが、免疫力がつくのだろうか。まあ、これで社長にもマスコミに対する免疫力がついたことだろう。私は、車椅子が通れて、自転車が通れて、スケートボードが通れる社会が素晴らしいと思うのだが、それは単なる思い込みで、やっぱり免疫力をつけるために、あちこち段差をつけたほうがいいのだろうか。東急ハンズ渋谷店みたいに。


 ついでに。
 「靖国参拝がいけないということに同調する日本人が大勢いることは理解できない」という日本人が少数いてもいいじゃないですか」
  なぜならばこの国が、異論反論少数意見を認めあう言論の自由の認められている素晴らしい民主主義国家であることのなによりの証なのでありましょうから。もちろん、
 「「靖国参拝がいけないということに同調する日本人が大勢いることは理解できない」日本人に同調しない日本人がいてもいいじゃないですか」
  なぜならばこの国が、異論反論少数意見を認めあう言論の自由の認められている素晴らしい民主主義国家であることのなによりの証なのでありましょうから。もちろん(以下略


 さて、旅順要塞に銃剣突撃*1の乃木大将が六本木ヒルズに縁があったとは。大勝利で日本を救った東郷元帥縁の地は、公園となってインプレスの、デジカメインプレの場として皆の目を楽しませている。その日露戦争自体、半島の帰趨が遠因だったような気が。

 

*1:事実かどうか不明。要塞に銃剣突撃、鉄条網に銃剣突撃、戦車に火炎瓶、機動部隊に片道燃料の戦艦突撃、爆撃機に竹槍、いろいろな神話がある