http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060129/1138503389
障碍者の職業訓練校の先生の話では、「建物にあえて少しの段差はつけてほしい」と聞いたことがあります。これは、現実の社会に常にバリアがあることを前提としたお話なのでしょうが、乗り越えられない段差はともかく、「全く段差をなくすようにはしないでほしい」と言葉は、それなりに意味があるのかな?とは感じました。
少し段差があったほうが、免疫力がつくのだろうか。まあ、これで社長にもマスコミに対する免疫力がついたことだろう。私は、車椅子が通れて、自転車が通れて、スケートボードが通れる社会が素晴らしいと思うのだが、それは単なる思い込みで、やっぱり免疫力をつけるために、あちこち段差をつけたほうがいいのだろうか。東急ハンズ渋谷店みたいに。
ついでに。
「靖国参拝がいけないということに同調する日本人が大勢いることは理解できない」という日本人が少数いてもいいじゃないですか」
なぜならばこの国が、異論反論少数意見を認めあう言論の自由の認められている素晴らしい民主主義国家であることのなによりの証なのでありましょうから。もちろん、
「「靖国参拝がいけないということに同調する日本人が大勢いることは理解できない」日本人に同調しない日本人がいてもいいじゃないですか」
なぜならばこの国が、異論反論少数意見を認めあう言論の自由の認められている素晴らしい民主主義国家であることのなによりの証なのでありましょうから。もちろん(以下略
さて、旅順要塞に銃剣突撃*1の乃木大将が六本木ヒルズに縁があったとは。大勝利で日本を救った東郷元帥縁の地は、公園となってインプレスの、デジカメインプレの場として皆の目を楽しませている。その日露戦争自体、半島の帰趨が遠因だったような気が。