雑記

ナーロッパ馬車に板バネ

某Web小説を読んでいて、転生主人公が馬車の乗り心地に辟易してサスペンションを思い出す場面を見た。板バネは構造自体は簡単でも、伸縮に耐える素材が必要。

昭和30年代、戦後の混乱からようやく抜け出しつつあった日本人にとって、乗用車はまだ高根の花。1台100万円という価格は、当時の一戸建て住宅より高価で、一部の富裕層しか手にすることができない“富の象徴”だった。
そんな中、経営の危機に瀕していた小さな自動車メーカー富士自動車工業は、サラリーマンでも手が届く乗用車の開発に乗り出す。排気量360ccなら、スクーターの製造ラインで量産することができる。そのかわり、エンジンが非力なため2人乗りが精一杯、というのが当時の常識だった。
しかし、開発のリーダーとなった百瀬晋六は、4人乗りにこだわった。家族全員が乗れる、庶民のための車をつくりたかったのだ。総勢15人、平均年齢29歳のプロジェクトが発足した。百瀬が掲げた目標は、価格は国産車第1号トヨタ・クラウンの三分の一である35万円。悪路を時速60キロで走ること。どんな坂道も登ること。当時の技術水準をはるかに超えた目標だった。
課題は山積みしていた。ボディの徹底した軽量化と強度の両立、4人分のスペースを確保するためにコンパクトなサスペンションの開発…。

https://www.nhk-ep.com/products/detail/h15277AA

捩じり剛性を利用するトーションスプリングは可動域がないためコンパクトだが富士重工が試作したトーションバーは良く折れたという。板バネといえども、実用化には技術者たちの物語が