"刑法には「人を殺してはいけない」とは書かれていない "

http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060708/p2

10年ほど前の記事を見つけた。

「Aをした場合にはBという不利益を課す」という条件節になっている。換言すると,「Bという不利益と引き替えにするならばAをしても良い」というように読むことも可能。どうして法律がこのような言い回しをしているのかというと,個々人の行動を国家が直接に制御することは難しいから*2。そこで,間接的ながら不利益を用意しておくことで,ある行動に出ることを思いとどまらせようとしているのです。
 法律は,社会を構成する大多数の人が〈好ましい〉と思っているであろう価値判断を反映させているだけの代物。価値判断は法律の背後にあるのです(背景事情を探るときに「立法者意思」というものが見え隠れする)。例えば,銃を所持することが〈正しい〉のかどうかは分かりません。日本では認められていないけれど,米国には憲法修正第2条*3があって武器を保有することが人権とされていたりする。
 つまり,「そもそも論」のレヴェルで価値観が対立している場面において法律を持ち出してみても,あまり意味が無いのです。法律が拠り所になっている社会というのは健全な共同体だとは思いますけれどね。

"将棋実況YouTuberに朝日新聞「権利侵害なので中止を」、何の権利侵害なのか?"

https://www.bengo4.com/houmu/17/1263/n_6263/

では、その「対局内容」について、朝日新聞が主張する「独占的に放送、配信、その他の方法で利用できる権利」を、どう考えればいいのか。

齋藤弁護士は「この権利が、法的保護に値すると判断される可能性は否定できないでしょう」と語る。

「対局内容の中継について、故意または過失によって、他人の権利や法律上保護された利益を侵害する『一般不法行為』が成立するかどうかを検討することになります。

不法行為が成立するには少なくとも、法的保護に値する利益が侵害される必要があります。

有名な棋士同士の対局内容に、顧客誘引力が認められることは間違いありません。実際にもプロスポーツの独占放映契約のように、新聞社は相当の対価を支払って、対局内容や対局経過を独占的に放映する地位を得ていると考えられます。


これに対して、"刑法には「人を殺してはいけない」とは書かれていない "的なコメントを散見。