差別状況下、抑圧下の順応

差別状況下、抑圧下で、環境に順応することは、差別、抑圧を強化することになる(ことがある)。


えー、架空の状況を考えてみる。ある会社に女性の(中級)管理職がいたとしよう。「やっと、女性も総合職として認められた。ここで、女性だからと休んでばかりいたら、女性の地位向上が図れない」と、有給や育休、早退などに厳しく対応し、却って男性管理職より抑圧的に振る舞う。そんな状況があるとかないとか言われる。


別の(よくありがちな)架空例だと、「俺としては、差別心は無いんだけどね〜 ○○○(←属性)は客の受けが悪いんだ」っていうのがある。書類上、「○○○(←属性)」を見て不採用にするのは差別だが、面接で「客受けが悪そう」だと、差別とは言い切れないし、もし、「試用期間」を設けてその間の売上によって選抜するとなると、さらに言い切りにくくなる。もちろん、実質は差別の強化にはなる*1


でまあ、ハーネスの問題。「母親はハーネスなんて使わず子どもの世話に専念しろ」とか、「そもそも、子ども連れで街に出るな」って言えば話は簡単なのだが、女性というか母親に対する抑圧が減って来たのが昨今である。だからといって、「おさるのジョージ」のように、子どもが何をやっても周囲が暖かく受け入れるって状況ではない。自動車は走り回るし、セルフサービスのスーパーマーケットの野菜はちょっとしたことで崩れそうだ。路地に駆け込んで迷子になった子どもは誘拐されるかもしれない。そのへんのミスマッチが「ハーネス」なんじゃないかな、っていうのが昨日の話。ついでにいうと、ベビーシッターの導入でそのへんなんとかしているアメリカみたいな国もあるけど、あのへん、低給で働く不法移民のベビーシッターっていうのが前提な予感もある。

*1:もちろん、ここで、アファーマティブ・アクションaffirmative action)を持ち出すこともできるが、そうすると、発生するのが「優越集団内弱者」問題ではある