例の件

 前線の向こう側の攻撃で、人を死に至らしめること、と、前線のこちら側で、制圧下・管理下の人間を殺害すること、には差異があり、前者は戦争行為の一環として考えられ、後者は虐殺、と考えられるっぽい。あと、捕虜や自国民を労働させ、その最中、不幸な事故や疾病により死亡することと、まとめて殺害することは、異なる行為と考えられるっぽい。もちろん、程度問題はあるが。で、そういう倫理観は、ある程度世界共通っぽいために、法みたいなものとして通用していて、それを抜きにした議論は、アレかもとは思う。

 あと、そう、自動車事故とかで、受傷後、何時間以内の死亡が「交通死亡数」にカウントされ、何時間か経つと死亡数にはカウントされない。何かをカウントする場合、どこまでカウントするか、という問題が発生し、よく議論のタネにはなるかな。

「論文の書き方」な話

 「紀行文」の書き方、という方法論で大事なのは、てにをは、に類することでなく、どこにどうやって行って何を見るか、旅費はどう工面するか、ということだと思うのだけど、それはもう、前提条件なのかな。

無理難題とは、なんだい?

「○○しろ」と言われても困るけど、「○○するよう頼め」と言われても、結構困る。
「予算がないから値引け」「納期が迫っているから、お前は速くしろ」というのも困るけど、「予算が無い。お前が部材を値切れば、安く上がる筈。頼んで来い」「お前の前工程を急がせれば、早く出来上がる筈。頼んで来い」と言われても、結構困る。
頼んで何とかできれば、誰も困らないのだけど。複雑なプロセスが、「頼む」という言葉に矮小化されるというか。

驚きの運転

 信号で、目の前の車が止まった。
 赤信号でなくて、青信号である。
 「赤信号が青になったが、発進しない」
 のではなく、青信号なのに、止まった。
 4とか5車線の真ん中で、左折待ち、右折待ち、というわけでもない。
 ふしぎ。
 やはり、停車権という自明の権利でも有していたのだろうか。