コピペは増えるし、マクドは儲かる

http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090206/1233931403
一番大枠の話をすると、
「オリジナルを作る生産者と、それを消費する消費者に分類でき(ると仮定すると)、学校は生産者になるために教育を行う」
という話になる。


その構図に対しては、「俺は市民だ。人権がある。人権無視の労働はしたくないし、消費するためのリソースが与えられるべき。俺が生産してGDPを増やすと、それは米国に渡り、それが某所へ渡って人権侵害に利用される(以下略」みたいな批判が発生するし、それはそれで一理あるのだろう。


もうちょっと、小さく見ると、源流に近い生産者は、必ずしも報われるわけではない。オリジナル同人誌と二次創作同人誌の(略。ストックフォトを撮る方と使う方。既成のスープを使う飲食店。「学校は、オリジナルを生産するための教育というが、必ずしもオリジナルは評価されない。自分は、オリジナル制作の訓練はしたくない」という抗議も一理はある。「オリジナルなど存在しない。サンプリングにコラージュがポストモダンで(略」と(略。


 という問題と、(読書)感想文の是非、という問題とは、ちょっと位相が違う気がする。
 ある事象、について論じる場合、「超越者の意図」が存在しないリアルの出来事と違い、「作者の意図」「演出の目的」が存在する(とされる)創作の方が、論じやすい筈なので、一定の意義はあると思っている。もちろん、リアルの出来事も、超越者の意図、「資本家=アメリカ=特権階級=軍靴の足音」VS「市民=略=労働者階級=平和」みたいな構図を浮き彫りにすると、論じやすいし学校での評価も高くなる

 という夢を見た。