公共の福祉

http://d.hatena.ne.jp/katamachi/20081016/1224178066

子供の頃、工場の向かいに住んでいた。
で、ある日、新しく家を建てて引っ越すことになった。
その後、昔の家を見に行くと、そこはパイプやタンクが入り組んだ、銀色に輝く施設だった。
廃水処理施設だと思った。
子供なので、新しい家が嬉しくて、別に思い出がどうだとか思わなかったけど、結構複雑な気分にはなった。じゃあ、他人の豪邸とか、マンションなら良かったのか、というと、それはそれで別の感傷を感じた(RR?)かも、と、今になると思う。
廃水処理施設の建設で、下流の福祉は改善し、自分の部屋が出来た俺の福祉も改善し、別にそれだけの話なんだけど、庭にイモでも植えておけばよかったのだろうか。親父もその工場で働いていたので、イモ植えて移転反対、とやれば、家族の福祉には非常に反する事態にはなっていただろう。


しばらく前に、一人で住んでいたところは、非常に道が細かった。
それでいて、病院や学校があるため、朝は車が立ち往生する事態になる。脇道が一箇所道が詰まると、交差点にまで渋滞が達して、細い幹線までストップする。
そんなことは、行政は先刻承知であり、変形交差点の整備が始められていた。周囲の家屋は更地になっていったが、一軒だけ、いつまでも残っている家がある。フェンスで囲まれた空き地、一軒だけ残った古い家屋、青信号でも進まないバス。いろいろ複雑な心境だった。


つまり、幼稚園児の芋掘りする権利を守るために、あの地域を江戸時代特区にして、自動車道は迂回するか地下を通し、江戸時代に戻してあげれば満足するのではないかと思った。自動車に悩まされず、金融バブルにも踊らず、危険な中国産野菜もない江戸時代の生活。俺には無理だけど、大喜びで移住する人もいるのではないか。