教育の話

 Twitterの続き。
 現在の教科配分が、社会の実情を反映しておらず、再配分が望ましい、少なくとも配分を評価するシステムが必要である、というのはまあ同意。
 数学については、「掛け算九九も不要です」という人はいないだろうし、「日本国民全員、微分方程式まで義務づけよう」という人もいないだろう。じゃあ、どこで妥協するか、という話になると思う。
 古典・哲学も同様で、「欧米のサロンに出かけて、あちらのエリートと、国家戦略を議論する傍ら芸術の話をする」人間は、一定数必要だろうけど、そうでない殆どの人には実用上のメリットは少なそうではある。


 教育手法、大雑把だけど、座学と実戦の差については、言うまでもないことだとは思う。IT系企業の初期研修でそう思う人は多いのでは。ただ、座学の講師は寝ながらでもできる(≠成果があがる)けど、実戦の師匠やる場合、教える相手がよっぽど熱意があり、教えるほうも気合いれないと大火傷を負いそう。触っていいものと悪いものをどうやって教えるかという。


 まあ、「料理学」を、教壇から喋るだけ(≠成果があがる)なら楽だけど、調理実習はマヌケが手を切ったり、油に火をつけないよう気を抜けないし、寄与のメニューじゃなくて、「グループごとに、テーマ(25歳男性向けビールに合うおかずとか、ゆるふわスイーツとか)に沿ってメニューを作って製作しなさい。予算これこれ。カロリーこれこれ」だと、グループごとの進捗をたしかめたり、マヌケなメニューは途中で修正したりしないといけないので非常に面倒そうではある。