先生

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50644015.html

天才ならざる我々には、今もって「師匠」が必要だ。

時折、思うことがある。
情報というか先生の価値というか。
ある情報、「病気の症状とその治し方」とか「鉄の精錬法」とか「調理法」とか。
昔であれば、それは、文章化されていなかった。ので、知っている師や先生に師事する必要があった。
それが、本に記されるようになっても、グーテンベルグの活字印刷の発明以前は大変高価なものだった。ので、本があるところまで出かける必要があった。日本人にしてみれば、留学というものか。
そろそろカタカタするのも飽きてきた。
西欧の大学でノートを取り、それを20年間教壇で喋るという教授がいたとかいないという話もあったし、
横のものを縦にする、つまり欧米の文章を翻訳するだけで飯の種になったという時代もあったという。
情報自体、図書館に存在したとしても、それを検索するためにはそれなりのスキルが必要だったのが紙の時代だった。
単なる知識の取得では先生たりえないとしたら(いや、ずっと前からそうだったと思うけど)師匠の条件ってなんだろう。