http://our-no-future.seesaa.net/article/22202789.html
それより気になったのが、原爆開発のところで出てきた、1944年8月の『新青年』という雑誌に載った、理研の科学者がサンフランシスコに原爆を落とし、市民40万人を殺すという小説。まぁこれが当時どんな印象で人々に受容されたのかは分からないけど、少なくとも分かることは、少なくとも当時の一般的な人々が、そういう大量虐殺を日本側が加害者としてするということに対し、それほど拒否感をもっていなかったということ。
Wikipediaの説明によればその当時日本にはまだ無差別爆撃は来てなかった(間違いだったら教えてくれると嬉しいです)そうで、つまりまだ本土の一般人に対する大量虐殺ということはリアリティをもっていなかったのかもしれないけど、逆に言えば、報復という意図(要するに、大量虐殺されたからこっちもしようという意図)でなくてもこういう大量虐殺を行うことが肯定される、そういう空気が広まっていた。
「無差別爆撃」を、カーチス・ルメイによる、それまでの軍需施設に対する、昼間高高度精密爆撃に代わる都市夜間低空爆撃とするなら、1945年以降のものです。
ドーリットル空襲(-くうしゅう、Doolittle Raid)、またはドゥリットル空襲とは、太平洋戦争中の1942年4月18日に、アメリカ軍が航空母艦に搭載した陸軍の爆撃機によって行った日本本土に対する空襲である。--http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AB%E7%A9%BA%E8%A5%B2
こんなのもあるけど、報道は小さそう。