ヘーゲルとフォンノイマンの呪い

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20060517/1147855760

 ※そういえば、臨床でよく似た苦しみを持ったケースがいた気がします。それこそ、目の前の相手に「こんにちは」から言葉を発するべきか「お久しぶりです」から言葉を発するべきかとか、無限通りの行動パターンを、実施する手前で悶々と考え続けて頭が爆発しそうな状態になって、しまいに頭を切り取ってしまいたいと思う人とか。私は、適度に馬鹿なところがあって助かってますし、多分、その「思考に任せず直感に」って処世は、脆い私の適応を維持するためには必要なものなんでしょうね。

 なんか、天然のニューラルネットワークに、チューリングマシーンを乗っけるのは不自然な気がします。選択肢をいくつか用意し、他より優れた選択肢を実行、不都合であれば強度を落とし、最適な行動パターンを"natural selection"で残していけばいいのに、と思います。同じ強度の選択肢が複数存在した場合、ランダムを入れないと常に衝突して比較が終わらないことも、頭脳にいれておくといいのに。
 普通の人間は、意識せずにこういうことをやっているのだろうと思っています。様々な角度からの視点に対応した言説を予め準備しておく背景に、激烈な論争が窺えてちょっと涙です。対抗言説マジノラインとでもいいましょうか。反論を隠しておいて、突っ込まれたら即座に投入するWeb電撃戦も面白そうですが、あれはあれで結構疲れそうなのが難点です。