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1956 年の「公式発見」のときには原因物質は未解明でしたが、既にチッソ水俣工場の廃水が原因であることは誰もが気付いていたのです。その後もチッソ付属病院の医師が工場廃水をまぜたエサを猫に与え、発症が確認された1958年には工場廃水が原因であることが「科学的に」証明されたわけですし、遅くとも熊本大学研究班が有機水銀説をだした1959年には工場に操業をやめさせ、排水をとめることはできたはずなのです。
「科学」の側が、「科学」を恣意的に用いた例として、我々は記憶したほうがいい問題。
「疫学的」には、原因が推定されていたにも関わらず、ウイルス説など根拠の薄い説を持ち出して、「原因が科学的に証明されたわけではない」と抵抗し続けた。さらに、日常言語でいう水俣病が「チッソによる有機水銀排水による中毒症状」であるにもかかわらず、国として「国が定めた基準を満たした患者」を救済対象とし、実情に沿わない基準を運用し、救済を拒否し続けた。
我々が、きちんと「科学」について認識していないと、恣意的な科学がまかり通るんじゃないかな、という話。