水俣病認定の話

http://d.hatena.ne.jp/umeten/20090630/p2
日常言語では、「チッソの排出する有機水銀によって健康被害にあった人間」を水俣病患者と呼ぶのだが、政治言語では、「規定を満たす患者」を『水俣病』と呼ぶ。規定を厳しくし、認定を拒むことで給付を安く上げようとする、よくあるやり口で、日常言語と政治言語の齟齬が、被害者とその周辺に多大な精神的ストレスをかける、気がする。


で、「結果的に正しくない、そして、政治性に富む」対抗言説が、事件の解決を遅らせる例として、脚気ウイルス説、スモンウイルス説、水俣病ウイルス説を思い出すのだが、水俣病の場合、ウイルス説でなくて、伝染病説、と表記するほうが正しいのかな。

1854 ロンドンでコレラが蔓延した。医師のジョン・スノーが患者の発生地点を地図に記し、2つの水道会社の間で死亡率に8倍の差があることをつきとめた。このため、その会社の水道が止められ、コレラが治まった。コレラ菌のがコッホによって発見されたのは、その30年後のこと。
1880 日本海軍の3分の1が脚気にかかり、年に30人以上死亡していた。
1884 海軍の軍医高木兼寛は食事に原因がありそうだと考え、2つの軍艦にパンや肉食の有無が異なる献立を用意し続けた。そして白米食が原因だと分かり、85年から麦飯を海軍の主食にした。しかし、その後も脚気の原因は細菌だという主張が強く、特に陸軍の森鴎外は食事原因説を受け入れなかった。脚気細菌説は北里柴三郎によって間違いが明らかにされた。それでも94年の日清戦争では、白米の陸軍は戦死者453人に対して脚気の死者は4064人にもなった。福沢諭吉も陸軍を批判したが、陸軍は細菌説に固執し、1905年の日露戦争でも、陸軍の2,7800人が脚気で死亡した。08年に陸軍もやっと麦飯を採用した。鈴木梅太郎がビタミンB1を抽出して脚気の原因を突き止めたのは1912年のこと。森鴎外は22年に亡くなるまで食事説を認めなかった。

http://www.geocities.jp/opt_inaba/rep_ele_03_wave_of_time.html

 科学的?には、コレラ菌の発見以前に水道を止めたのは30年も早計ということになるのか。

1953.12 水俣で原因不明の奇病発生 患者の発生はばらばらで、伝染病ではないことが分かる。もし伝染病ならば患者は同心円的に広がる。
1956.4 水俣で原因不明の脳疾患児が多発 水俣病の「公式確認」
1956.11 熊大、疫学調査や病理研究をもとに魚介類による重金属の中毒だろう、と発表。しかし、熊本県や国は疫学調査の結果を無視。県の衛生部長の蟻田氏が現地調査をして魚が原因らしいと県知事に報告すると、副知事から「八代より南には行くな」と禁足令が出された。(水俣は八代より南)
1959.7 熊大、水俣病有機水銀説を発表。(九大の遠城寺学長は小児麻痺説)

http://www.geocities.jp/opt_inaba/rep_ele_03_wave_of_time.html

"誤報となった「伝染病」報道"

 番組によると、水俣病の最初の報道は西日本新聞(1956・5・8)の「死者や発狂者出る水俣に伝染性の奇病」の記事だった。そこにはニュースソースを明示しないまま「伝染性のものではないかと思われる」と書かれている。この「伝染病報道」はマスコミ各社も右へならえした。当時の毎日新聞水俣通信部記者は「私も患者の家の消毒を取材したが、『伝染病ではないか』という見方は公式に発表されたわけではなく、また、公式に否定されたわけでもなかった。」と証言した。

 しかし、結果的に誤報となったこの「伝染病報道」を打ち消さなかったことが水俣病への偏見・差別を生む導火線になっていった、と番組はマスコミの怠慢を責める。熊本大学研究班が「原因は有機水銀中毒」という報告書を厚生省に提出したのは、それから3年後の1959年(昭和34年)11月だった。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no22.htm


…ちょっと検索かけた範囲だと、水俣病だと、チッソ側が意図的に対抗言論を持ち出した風味ではないかな。

なお、チッソでは、同年(1959)にチッソ附属病院で工場
廃液を猫に与える実験を行い、水俣病を発症する(10 月6日、「ネコ400 号」発症。)ことを確
認していましたが、公表しませんでした。

http://www7.ocn.ne.jp/~mimuseum/rekisitokyukun/04kyoukun.pdf

チッソは熊大有機水銀説を中央の学者らを動員して否定しようとする.

10月24日チッソは「有機水銀説に対する当社の見解」と題して,日本工業協会大島竹治理事の爆薬説(旧日本軍が水俣湾に投棄した爆薬が水俣病の原因だとする説)をもちだす.(熊大研究班は旧軍責任者を調査し,爆薬投棄の事実がないことを明らかにし,爆薬説は「事実に反し,医学常識を無視したセンスである」と10月20日に反論ずみ.)

11月11日東京工大清浦雷作教授は,水俣病の原因は工場排水とは考えられないという論文を通産省に提出.

チッソを擁護する「学者」の反論は,翌年,翌々年にかけてさらに続く.

 1960年 東京工大清浦教授,アミン説提唱.
 1961年 東邦大戸木田教授,「腐った魚が原因」とする仮説に基づく66頁にわたる膨大な論文を発表.

http://homepage2.nifty.com/andot/minamatabyouJiken.html

してるw