"「智代アフター 〜It’s a Wonderful Life〜」評"の感想

http://blog.livedoor.jp/april_29/archives/50239569.html

一時期、強かった“泣きゲー”の流れは、2005年に入って緩和してきており、各ソフトメーカーは、自分たちの個性を前面に出して、萌え重視のグラフィック至上、または設定積み重ねによるストーリー重視へと傾きつつある。だが、Keyは立ち止まったまま。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20051211/1134258294

もうちょっというと、言うにやばいが、そうした問題が、つまり、自意識に還元された問題としてそれが現れるのは、母との承認の関係の反復なのだろう。ということで、広義に母子関係の問題でもあると思うが、こうした話は、嫌がられるだろうし、ムキになって反論されてもそれほど問題意識が共有できるわけでもない。なので、そのくらい、ぼちぼち、あんじょうやってください。

 前置:
 いわゆる現実、というのは、我々の脳内の良く出来たエミュレータであり、物理学的実体とはちょっと違う。と思っている。多くの人間にとって、マイナスイオンは現実で、大気中の窒素は現実的でない。スポーツの結果は現実で、経済指標は現実的でない。CMで喧伝する「キレイ」は現実的で、皮膚の常在菌は現実的でない。

 「体験」:
 エンターテインメントは、なにかしらの「体験」を売る商売だ。アミューズメントパークのように、実際の体感を売る場合もあるし、視覚で売る場合もある。前宣伝を重ね、好奇心の満足という「体験」を売る場合もあるし、続き物では「伏線の解消」という「体験」もある。クリエーターへの接近という「体験」もあれば、差異化という「体験」もある。また、ユーザーコミュニティーへの参加、という体験もあるのだ。
 
 TH2:
 ギャルゲを成立させ、一定の「体験」を与えるためには、エロの無い分、一定以上の「ゲーム性」や「ストーリー」が必要じゃないかと考えられていたけれど、その考えを覆したのがTH2.エロゲ手法で創られたエロ抜きエロゲ。エロを想定して創られて、巧妙に(いや、まるわかりか)エロを除去したという雰囲気だった。CLANNADは、まあ、智代関係くらい?あえてエロ抜いたのって。

 智代アフター
 あのパッケージは、えーと、D.T.で2000円、サントラで2000円、前半部のギャグで1500円くらいの価値があるらしい。個人的には、器用仕事にもう300円位払ってもいい。だから、中盤以後のことを触れるのは無粋じゃないかとおもうけど、ちょっと書く。
 どうみても母親の回復です。本当にありがとうございました。