"さようなら、WYSIWYG"

http://www.usability.gr.jp/alertbox/20051010.html

要約:
Macintoshスタイルのインタラクション・デザインは限界に達した。Results-Oriented UI(結果志向のユーザ・インターフェイス)と呼ばれる新たなパラダイムが、ユーザに大きな力を与える日がやってくるのかもしれない。

ミケランジェロなら、大理石の塊を見るだけで完成した彫刻を容易にイメージすることができるかもしれないが、そのような離れ業は、一介の庶民には極めて難しいことである。

彫刻の作品集を見ながら、大理石の塊に向かって、“ダビデ像になれ”とか“ミロのヴィーナスになれ”と指をさせばそれができ上がるようなものだ。デザインを変えたいと言えば、中身(顔や大きさなど)を維持したまま、大理石が言われたとおりに姿を変えてくれるというわけである。

 問題は、ダビデ像になる機能が実装されていても、弥勒菩薩になる機能が実装されていなかったらどうするのか?“弥勒菩薩になれ”と56億8千回唱えれば、弥勒菩薩になるのか?どうも信用ならねぇ。
 インターネットの番組表から、録画ボックスに番組表をドロップする。「コマンドが違います」。画面の中で、有効なコマンドを見つけるのに四苦八苦する未来が待っているのではないか?エラーすら、ロクに回収できないソフトメーカーはどうも信用ならねぇ。