わかりやすさ

htt://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/8082767f4da7122ada6f85366275cf1c


 思うに、専門家の頭が良過ぎるのだと思うのだけれど。
 難しいことをわかりやすく教えてくれない専門家の方にも非があるのでは? などと思ってみたり。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1356/kuru/EVILTEXT.html


「わかりやすい」文章を書く人が、より多く・深く「わかっている」、あるいは理解力・読解力がすぐれていると、一概に断ずることはできません。普段から「わかりにくいこと」をあまり頭に出し入れしてなくて、考えていること自体がとっても「わかりやすい」だけなのかもしれません。もちろん、「わかりやすいこと」をわかりやすく書くだけでも立派なものです。個人的には「わかりにくいこと」をわかりやすく書く人がいてくれるととても助かるのですが、「わかりにくいこと」をわかりにくいままでも、とにかく書いちゃう人がいるだけで有難いです。

 物事っていうのはシステムで、大きなシステムっていうのは分かりにくいのだ。結局。大きなシステムの一端を、これが全てであると快刀乱麻に見せ付ける人がいるが、それはシステムの全てではない*1
 専門家であることと、頭が良いことは同一ではない。専門家は、ここの事例を集積し、それを統合し、大きな(場合によっては実用的な)システムを作り上げた人のことだ。法律家と、六法全書(と判例集)は同一ではないし、医者と、家庭の医学(と医学書)も、同一ではない。専門家は、おそらく統合されたシステムで、専門書は、そうではないものだろう*2
 もし、複雑に見えるシステムが、簡単なシステムと誤差とみなせる修飾要因に分離できる場合は、簡単なシステムを提示し、分かりやすい世界の真相を伝えることができるだろう。でも、世の中はそういう状況だけではなく、分かりにくい世界は、やはり分かりにくいのだ。

 という文章を、オフで書いていた。いまアップすると、後だしジャンケン風味なのが恥ずかしいが、あげておく。世界というシステムを、自分なりにモデル化しおえたのがオトナなんだろうな。そのへんが不十分だと、セカイを捉えようとセカイ系に走ったり、自分の位置を確かめようと非(以下略。

*1:一部分を強調することで、他の面を隠蔽する悪徳である、とまでは言わないが

*2:ちなみに、専門とされるシステムを、社会のシステムから遊離させて構築すると、専門なんとかと呼ばれて愛される