ゴムまりの比喩

http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2005/07/post_239.html

思考実験
ゴムか何か、変形可能な材料で出来たサラダボウルのような容器の中に、玉を1つ置く。
何もしなければ、玉はボウルの底で静止している。ボウルの中心はちょうど底に当たる場所なので、少々外乱を加えた程度では、玉はすぐにボウルの中心へ戻る。
何人かがかりで、ボウルの縁をゆっくりと引き伸ばし、その形を半球状のボウルから浅い皿、ついには平面にまで引き伸ばしてしまっても、上手にやれば玉は中心から動かない。
さらに、引き伸ばされたボウルを裏返してみる。
裏返ったボウルは、あたかもドームのような形になる。ボウルのそこにあったはずの玉は、今ではドームの頂点に位置している。それでも、慎重にやれば玉は中心から動かず、玉は相変わらず静止している。
ボウルの底と、ドームの頂点。場所は変わっても、玉が静止してという意味では同じ。

違いは、「何か」がおきたときの変化に現れる。

玉がボウルの底にあったときは、少々ゆすったぐらいでは、玉はすぐにもとの位置に戻る。よほどのことが無ければ、玉がボウルの外から飛び出すことはありえない。

一方、ドームの頂点にある玉は、ごくわずかな刺激が加わっただけで動き出す。1度動いた玉は、世界の果てまで転がり落ちつづけ、二度と中心に戻ってくることは無い。

これって、カタストロフィー理論?

http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/Catastrophe.htm

「原因がわずかずつ変化すると、結果も正比例的にわずかずつ変化する」本当だろうか?

 

例えば、水蒸気をある温度以上の条件で圧力を少しずつ上げていくと少しずつしか水に相転移しない。

しかしそれよりほんの少し低温の水蒸気に圧力を加えると急激に一気に水に相転移する。

http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r2-3-3/r2-3-3c.html

カオス、複雑系と発展してきた今、カタストロフィー理論で期待されてきたことが、少しずつ可能になってきていることがわかります。しかし、70年代には、カタストロフィーの流行は、いつの間にか終り、忘れられてゆきました。カタストロフィーは、不連続な動きや突然のジャンプを説明する理論なのですが、応用例がたとえ話に終ることが多かった、言いかえると、例としてあげられた現象、例えば経済の動きを表す微分方程式が通常の経済モデルで自然に登場する微分方程式と異なり、関連性がよくわからなかったからではないかと思います。

 意思決定は、最大値でなくて極大値になる、という点が面白い理論だった。