教える力のない教師がつくる異様な世界

http://www.works-i.com/special/newgeneration2.html
via
ttp://d.hatena.ne.jp/DL3036/20050608

 私は、中学校などでよく講演を依頼されます。そのときに実感するのは、先生たちの能力の低下です。彼らは、全くビジネス社会を知らないので、彼らから出てくる質問は、だいたい「会社などでは何が重要なのですか。やっぱり人間関係ですよね」などと自分で勝手に納得してしまうようなものが多いです。
ほかの要素、例えば、職業専門能力を磨くことが重要なのだと話しても、彼らにはそれを理解する能力がないので、「やはり、大事なのは人間関係だ。だから、とにかく嫌われないようにしろよ」と生徒に教えることになります。先生がこの調子ですから、生徒にも「ビジネスの現場ではどんなことが起きているのだろう」などと想像する力が養成されません。社会で起こっている物事や、他人と自分がどのように違っているのかなどは、考えようとしない。人と違うのはタブーとされているので、そこには踏み込まないという「世間教」が支配する形になります。
学校の先生の集会などを見ると、ぞっとしますよ。みんな人から嫌われないようにと、にこにこしていて、誰からも文句が出ないという一種異様な世界です。みんなと仲良くしていなくてはいけないという、仲良しだけど「悩む力」の欠如した社会、それが今の学校なのですね。

 そうか。いじめられっ子が更に迫害されるのは、嫌われることが悪、という価値観が背景だったのか。

その結果、生徒に選ばれた先生というのは、結果的に生徒に「悩む力」や「想像力」を養成できる人物であることが多い。

 いい先生とは、要するに生徒のモチベーションを与える先生だと思っていたが、それはこういうことなのね。