感想を書くときに心がけること
ありません。
一応、公開を前提とした場合、
- 普通におもしろい作品を70点と(感想の読者が受け取れるように)書く。
くらいかな。「萌えた」一言ですませることも多いけど。普通におもしろかった、ということを自分自身での前提条件として、気になった悪い部分だけを箇条書きにすると、自分向けには備忘録としていいんだけれど、他人から見た場合、単なるネガティブコメントに見られかねないのでちょっと自重。
印象に残ったゲーム
- KANON:舞シナリオのその後は、今でもふと考えることがあります。
- AIR:最初のプレイ時は、普通に感動した。何回目かのプレイ時、観鈴ちんとともに夏影が聞こえてきて、なんか猛烈にメタ感動したので、これでいいかなと思った。
- ハロワ:倍長ければ倍感動するわけではない、と気付かせてくれた一品。
- らくえん:ギターの音色と、声を聴いているだけで幸せになれたゲーム。
信じること
信じることは、兵隊の美徳だと思っています。
隊長が、伏せろと言ったら、伏せるのが兵隊でしょう。
「伏せろ」→「えー?なんで?」という兵隊は、長生きできないかもしれません。
政治家の美徳かどうかは謎です。不可侵条約を信じた(?)国の結末は見ての通り。
というか、信じることは、コミュニティー内の人間関係コストを減らしますが、コミュティー間に関しては、コストを減らす利益より、リスクを増す不利益の方が多いようです。
ということは、みな100も1000も承知なんだろうけど。
リボルバーの20発目の弾丸。黄門さまのブローニング。
考証とか資料の話をみかけた。考証は、作品の一要素で、「考証が素晴らしければ、作品も必ず素晴らしい」わけじゃないし、「考証に欠陥があれば、作品は駄目である」わけでもない。ただ、作品が値引かれることは間違いない。主人公が拳銃一丁で、悪人20人を倒す状況に陥ったとき、ノーカットで20発をリボルバーで撃ちまくったら、小学生くらいでもヘンに思うのではないかな。「じゃあ、あそこで主人公が悪人に撃ち殺されてジエンドになればいいのか」というのも○学生か。戦車相手に拳銃一丁。随伴歩兵を引き離し、地形罠で動きを封じて*1、爆薬とか火炎瓶でエンジンを暖めて、とか。発射の最中の砲身内の砲弾に、銃弾を当てる、というのも馬鹿一だけど許可な方向で*2。一介の刑事が、正面から90式の正面装甲を拳銃弾でぶち抜いたら、伝奇かSFかギャグになるかも。デッサンもそんな感じ。規範から、離れると不自然になる。演出による効果と、不自然さとどっちをとるか、みたいな。ちょっとリアル調な表面仕上げの絵で、デッサン、解剖学的規範からずれていると、ちょっと気になるのも、そんな感じかも。