某Web小説読んでる
普通、功績を上げたチート主人公は領主から褒美に家を貰うと「えっ?これが家??屋敷じゃん」と貴族街(田園調布みたいなところだろうか)に千坪くらいの敷地の邸宅を下賜されて管理のための人員を調達するために出かけたりするのだが、今読んでる作品では目抜き通りの裏手(秋葉原で例えると昌平小学校のあたりかな)の近隣商業地域らしき場所に間口二間ちょっとで20坪くらいの敷地を貰いRCで地下一階地上三階で一階はピロティ式でガレージな家を建てていた。ほんで一人暮らし。これはこれで男の夢ではある。
科学のドグマ
こういうことを書くと「科学も宗教の一つにすぎない」とかいわれそうだが、
- 科学的真実は存在する
っていうのが最大のドグマで、従属的に
- 自然の斉一性
っていうのもドグマであろう。
18世紀スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒューム*1によって導入された概念であるが、ヒュームがいなくても
サー・アイザック・ニュートン*2さんはリンゴが落ちるなら月も落ちると自然の斉一性を前提とした議論をしているのでなあ。それを言ったら、ガリレオガリレイさん*3の重い錘軽い錘の実験だって、自然の斉一性が大前提である。「ピサの斜塔では同時に落ちたが、通天閣ではどうだろう」「200の塔で同時に落ちたからといって、201か所目の塔では同時に落ちるとは限らない」と『民衆』や『知識人』たちが考えていたらその知識は埋もれたはずだ。
史記の「指鹿為馬(しかをさしてうまとなす)」の故事
秦の・胡亥の時代、権力をふるった宦官の趙高は謀反を企み、廷臣のうち自分の味方と敵を判別するため一策を案じた。彼は宮中に鹿を曳いてこさせ『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と尋ねたが、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと大半は黙り込み、彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えた。趙高は後で、鹿と答えた者をすべて殺したという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E9%B9%BF
こちらの方が東洋的ではある。