「究極超人あ〜る」「あずまんが大王」「けいおん」「GJ部」といった、日常系の傑作とか、まあそんな雰囲気の作品で、きっちり時間が経過して面子が卒業していくのは何故か、という話があった。
仮説としては、
「ゆるい日常を表現するために時間経過*1は『必須である』」説と、
「ゆるい日常を表現するために時間経過は『必須ではない』」説が考えられる。
このへん、「日常系で、時間が経過しない作品」をリストアップしていけば、検証可能とは思われる。
『自然』が最も意識されるのは、田舎のじゃなくて、ビルや館の中庭、みたいなものだと思っているけれど。
*1:進級して卒業していくこと