制約と趣味性

PCに必要な最低要件を考えてみる。
Windowsで、2chを眺め、「テキストを読み書き」し、静止画主体のゲームをやる分にはPentiumII 233MHzでそんなに困らなかった気がする。
このスペックだと、圧縮音楽を流しながら何かをする、にはもう、不足だけど。
一太郎を快適に使う」「Windowsを快適に動かす」ためにスペックを要求したような時代は、Pentium3の600MHzあたりで終わった気がする。うん。気がする。

もし、神様が出現し、「CPUよ、1命令実行する度に、十数命令休みなさい」と命令をだしたら、まあ要するに、Core-i5でもAtomくらいの速度にしてしまうなら、ちょっとでもワープロとかフォトレタッチする人はCore i7-2600が必須になり、OCが当たり前の時代が再来するだろう。HDD/SSDも、容量が10分の一、いや、100分の一になる魔法が掛けられたら、RAID趣味の人がまた増えるんじゃないかな。



自動車も、軸出力の7割が消失する呪いがかかったらw 少ない出力を効率良く使うスポーツカー、もしくは大出力を得るべく大型化したエンジンを積むGTやラグジュアリーカーの需要が増えるに違いない。


なんていうか、「あれか、これか」というトレードオフの実現方法に趣味性が現れるので、技術進歩により「あれも、これも」が実現できると趣味性が減るという雰囲気。