最近の投稿作を読んでいると、「両親がまったく出てこない」「いるんだかいないんだかも判らない」という作品に結構な確率で出会います。
いるんだけどほとんど描写されない、あるいはまったく触れられない。ほぼ空気。
つまり「両親の存在」が作者の関心の外にあるわけですね。ほんの一昔前はいわゆる「父親殺し」「母親殺し」はわりと普通のテーマでしたから、こうした傾向はちょっと隔世の感がありますね(※あ、この場合の「●●殺し」は本当に殺すわけじゃなくて、いわゆるエディプスコンプレックス・エレクトラコンプレックスという意味ですよ)。
そういう意味ではラノベに登場する「親」という存在に注目してみると、今の世の中がちょっと透けて見えてくるかもしれませんね。
http://ga.sbcr.jp/bunko_blog/t/017483/
"「最近のアニメに大人・親が居ない」という言論への反論〜07年以降に見たアニメの「導き手」私見〜"
http://www.mypress.jp/v2_writers/kamisra2/story/?story_id=1988146
"遠ざけられる男親 −宮崎アニメにおける父親の不在について−"
2005-11-14 "和月伸宏論(第二講):正しくありたくて不幸の原因と自分探しをしてた90年代「るろうに剣心」&「エヴァ」解題"
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20051114
など、otokinokiさんのエントリーには、成長を扱ったものが多いので、眺めると面白いかも。
追加
ラノベで(父)親の影が薄いというのは、手打ちそば屋でボリュームが少ないとか、某ラーメン屋で分量が多いというようなもので、そういうラノベが読みたいなら、検索中に思い出したのだが、パニッシュメントでも読めばいいんじゃないかな。
http://www.amazon.co.jp/dp/4094512586
あと、
くあっどぴゅあとか
http://www.amazon.co.jp/dp/4047266094
学園生活に親は要らないよ
ライトノベルと言ってもその内実は様々ですから、不在の理由は作品ごとに分析するより他ないと思います。それでも思考停止する前にちょこっと考えますと、読者層が広くなってきたとはいえやはりメインは中高生ですから学園生活が読みたいんじゃないかなぁ、というのが一つ。また、親が出てきちゃうとパターナリスティック・説教臭いものになりがちで面白みに欠けるというのもありますか? それと、主人公の行動も制約されちゃいますしね。あと、「幸福な家庭は皆同じように似ているが、不幸な家庭はそれぞれにその不幸の様を異にしているものだ」(『魔法先生ネギま!』12巻p125より)のアンナ・カレーニナ理論、すなわち不幸な境遇の方が物語のバリエーションが豊富というのもあると思います。
http://d.hatena.ne.jp/sangencyaya/20070614/1181753260
"ライトノベルに見る親子関係の稀薄さ"
http://d.hatena.ne.jp/hobo_king/20070613/1181724840
ライトノベル、親の関与による分類
"この十年を代表するアニメ作品⑦――「親」の不在の意味(Ⅰ)――"
http://blog.goo.ne.jp/hightension-usagi/e/f4562d375dfce90763e8442b78740092