精神論の末路

どうも僻地や地方の医者不足解消の切り札に、研修医期間を終えたばかりの医者の活用を考える動きがあります。曰く彼らはこれらの分野の技能を十分修得したはずだと。言ったら悪いですが、この構想にも先の大戦の悪例が想起されます。先の大戦で戦局が悪化し戦力を消耗させた指導部では、狂気の作戦である特攻に活路を見出そうとしました。ところが特攻させるにも搭乗員の不足が慢性化したため、促成栽培で飛行機の操縦が出来る程度のパイロットを養成し、旧式機体での特攻作戦を展開しました。

その作戦の発想、戦術的評価、さらにはもたらした結末がどんなものであったかを人々は忘れたのでしょうか。--http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20060527

勉強しろっていうのは誰?

昨今の平均的な高校生が基本的に感じている疑問は、「なぜ勉強しないといけないのか?」という疑問なわけだけれども、実はこの問いは、それが問われるときにすでに間違いを起こしているのだった。勉強は「なぜ?」という形で意義を問われるようなものでは、本来ないわけだ。勉強はやりたいからやるものであって、やらされるものではないし、何よりも「なぜ?」なんて意義を問うものではない。それは純粋に無用の用なのだった。--http://anotherorphan.com/2006/06/post_287.html

勉強しろっていうのは誰?親なら親に聞くといい。それが、日本国政府なら、アフリカにでも行ってみたら?勉強しろなんて言わないと思う。