失 言 小 町* - プログラマが絵描きに相手にされない理由
http://d.hatena.ne.jp/ryoko_komachi/20060211/1139742873


その反応
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060213/complex060213


関連して、偽春奈の顛末
http://d.hatena.ne.jp/mkg_b/20060213

かかっている手間を単なる使うだけのユーザは分かってくれない。そして(前にも何度か書いたが)他人の作ったものに対して一番痛烈な批判をするのは物を作ったことがない人間、そして作れない人間である。

ちなみに、こういう言葉に対しては、「消費者にとって作り手の内情なんかはどうでもいいんだよ」というレトリックが頻用される*1


原画家しか名前を覚えてもらえないという業界人の愚痴
http://d.hatena.ne.jp/natu3kan/20060116/1137380100


追記:反応への返信
http://inagawa.ath.cx/yamagu/Info/now.html?02131702

娯楽作品の場合、消費者にとって作り手の内情なんかはどうでもいいことがほとんどだと思うのですが、なんでそれが「レトリック」になるのだかさっぱりわかりません。私は小説を読むとき、小説の文章だけを評価の対象としてその文章を書くのに作者がどれくらい苦労したかとか努力したかとか気にかけない(楽屋裏の話を楽しむこともあるけど、非常にまれ。おっと、同人誌を読んで著者が目の前にいて酒を飲んでいると内情を聞いて楽しんだりもする:-))。野球の好プレーに感動することがあっても、そのプレイのために選手がどれくらい練習しているかにまでは気がまわらない。

 という反応を頂きました。
 言い訳をさせてもらうと、私も、「努力によって作品を評価するべきだ」とか、「作品を読むときに、その努力とか苦労とかを気にかけるべきだ」、とは思いません。さらにいえば、一市民が、国家の運営について公務員や首相に感謝しろ、とも思いません。ただ、何かを非難するときに、相手のことをある程度理解したうえで非難をする、そんな世界ならいいな、と思っています。なお、レトリック、という言葉は、「(2)文章表現の技法・技巧。修辞。(Goo辞書)」という意味で用いており、誤った文章、という意味では使っていません。もし、レトリックの用法が誤っているならば、「という表現が頻用される」と読み替えてください。


 楽しむ目的であれ、日常生活のためであれ、命にかかわる問題であれ、送り手と受け手の非対称性は存在します。

娯楽作品の場合、消費者にとって作り手の内情なんかはどうでもいい

 のは確かかもしれませんが、それでも、「生きるため」でなくても、一定の理解を示せたらいいな、と思っています。 

*1:誤解の無いように言っておくと、私はこういうレトリックは嫌いだ。われわれは市民だから国の運営なんてしらねぇ、とかね。