http://d.hatena.ne.jp/judgement1999/20051105/anata
マルチシナリオはその性質上、特権的な他者としてのプレイヤーの存在を隠蔽しきれない。入力内容を選んで、その先のゲーム内世界の在り方を決めるのはプレイヤーだからです。そこで「特権的になりきれない主人公」と「あなた」の乖離が起きてくる。ある時期からの美少女ゲームが、奇妙にメタフィクション的な傾向をおびてきたのは、このためだと思います。
このへん、論者の意見を待つ。
さて、プレイヤーをあなた、と呼ぶ場合、GMの存在がノイズとなる?
もしかしたら、日本人はゲーム内の主人公にも自律的な「キャラ立ち」を求める傾向が、強くあるのかもしれません。物語を体験するのは自分ではなく、彼らであるべきだと思っている。それがなぜかもよく分からないのですが、とりあえず漫画、アニメの影響が考えられそうです。
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http://d.hatena.ne.jp/misaki/20051106
海外のゲームでは一人称ゲーム(FPSゲーム)の人気が高い訳ですが、それとかなり近いものを感じる。自分=キャラクターなのなーと。でもって、平面(2D)のものではなく、立体(3D)のものとしてキャラクターを理解しているのでは無いだろうかと。アニメや漫画を観る視点がどこにあるのかは、とても気になるところです。