新聞がなくなる日

http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003811.html

「そういうあなたも、子供の頃は紙の新聞を読んで育ちませんでしたか?」と問われた。私は元新聞記者の息子なので平均以上に読んで育ったので答えは「はい」ということになる。「あなたはできるのかもしれないが、紙の新聞を読んで育つという経験がない世代に、ネット情報だけで世の中を俯瞰する能力が育つと思いますか?」という鋭い切込みにはうまく答えられなかった。次の世代のことは正直わからないからだ。

大新聞が描く世の中の見取り図がすべて正しいとは思わない。不偏不党の透明な報道という謳い文句が、実現できているとも思わない。「神の視点」など論理的にありえないと思うからだ。私が読みたいのは、どのような立場であれ、確固たる視点を持って書かれた文章だ。ネットワークを使って、複数の視点を比べて読むことで、自分なりの意見をつくるのがネットリテラシーなのだと考えている。

しかし、ベテラン記者氏から指摘されたように、ゼロから比較の土台を作れるかと言われると私の根拠が怪しい。毎日読んではいなくても、私も物事の判断基準に、大新聞的な見方を意識しているからだ。叩き台、基点となる枠組みとして、新聞の視点がなかった場合、次の世代はどうやって、自分の視点を築いていくのだろうか。

快楽原則(w