リスクとコストの話
マスメディアが作り出すバーチャル・リスク: 米国の西ナイルウイルス患者数は、2002年に4156名、2003年に9862名と拡大し、死者数はそれぞれ284名、264名となっている(動物衛生研究所 西ナイルウイルス感染症の2004年最新情報)。2004年には隣国のカナダでも1127名の患者が発生し、14名が死亡している。他方、英国の新型ヤコブ病による死亡者は本年6月までの累積で141名となった(動物衛生研究所 英国におけるクロイツフェルト・ヤコブ病統計)。「ヒトの命は地球より重く、数値表現は適当でない」という反論があるが、私が主張しているのはその重い一人の命を守るために国家予算をどのように配分するかということである。数値を挙げずに予算配分をすることは、この間多くの問題点が明らかにされてきている。より高リスクの要因を制御するためにそれなりの予算配分をしないと、国民の生命は守れない。--http://vetweb.agri.kagoshima-u.ac.jp/vetpub/Dr_Okamoto/Forum/Allornone.htm
「ヒトの命は地球より重く、数値表現は適当でない」派。
数字は適当ではない、派は、他の客観的(?)指標を用いるのではなくて、たいがい、俺さま原理主義者なので嫌い。
もっとも、私人として俺さま主義を唱えるのは推奨しないけど許容範囲とは思う。
安全が確保できれば安心に繋がる、のは確かなのだけど、不当な(?)報道は
- 低リスクな集団(外国人とか)を高リスクと誤解させ、不当な弾圧をもたらす
- 高リスクな集団、施設を隠蔽し、対策を遅延させる
などの弊害がある。もっといえば
- 本当に高リスクだったり、危険な状況を隠蔽する
という、陰謀論も考えられる。
日常論理と集合論理と単純論理の三角関係はBlogのネタなの
「雪がとければ水になる」と「雪がとければ春になる」の違いは何でしょうか? 前者の対偶をとると、「水になっていなければ雪はとけていない」ですから、これはいつでもどこでも正しい命題でしょう。一方、後者の対偶は「春にならなければ雪はとけない」ですが、よく考えてみると、この命題が意味をもつのは、冬、雪にかこまれて春をまつ季節の中で、だけなのです。--http://d.hatena.ne.jp/trivial/20060918/1158590339
ある冬の日の朝、玄関先は一面の氷だった。
上記の論理からすれば、「水になっていなければ雪はとけていない」筈だ。
ちょっと暖かくなり、日中の陽射しで雪の表面は溶けたが、早朝の冷え込みで氷になった。
常識的にはそう考えるとおもうし、そんな現象はよくあると思う。
「春にならなければ雪はとけない」
も同様。
対偶をとったり、背理法を使ったり、そういう論理マジックを何段階も積み重ねると、論理誤差が蓄積されていくけど、まあ、それが狙いだと思っている。
" テックジャイアン11月号スクープ 『凌辱ゲリラ狩り3』(Liquid)"
http://gamerssquare.fc2web.com/
プロスパーの刑、が出るか?
http://72.14.235.104/search?q=cache:oj5Di9vPtV4J:bmp69.net/mt/archives/2005/11/ii_2.html
http://72.14.235.104/search?q=cache:EZmxioovzeAJ:www11.big.or.jp/~kkk/pico/%3Fdate%3D20051025
これから(中略)が始まる!!というところで、シーンが終わってしまうというか
「やれやれ、見てられないな」とか言いつつ主人公が途中で抜けたりするものです。