非モテ問題の帰結

人間を安定させる「交流*1」を、
血縁の集合体に求める大家族主義は終戦と共に解体され、
企業への帰属と、専業主婦による核家族に求める戦後家族は高度成長と共に終焉を迎え、
消費生活に求めるセゾン文化はバブルと共に崩壊した。


旧世代の親に教育され、旧世代に適応した思考形式*2に染まった人は、梯子を外された格好となり、一部は「オタク」なり「非モテ」なりラベルが付いた(前後関係や因果関係はここでは触れない。どかで触れる予定はない)。

ちょっと飽きてきた。


コンテンツの消費を以て交流の代替とすることは、結局無理なようだ。スマホゲーなど、耽溺性の高いゲームや、ソシャゲなどゲーム内で交流が可能なゲームでは代替可能と思われるが、金の切れ目が縁の切れ目な予感はある。
地域のコミュニティに還れ、という北極流は、正解ではあると思うが、現時点での実現は難しそうだ。巨大なネットサービスが仲介し、交流を支援する手法を考えたが、それ単なるフェイスブックや…
あと、最近の若者は、旧世代の「交流なんか後回しにして、ガリ勉しなさい。ガリ勉して大企業に入れば見合いで結婚できるから。終身雇用年功序列定期昇給持ち家…」みたいな呪縛とは無縁に、カジュアルな交流を行っているという噂はあるが真偽は不明。

*1:良好なものを指す。虐待など、不良な交流であっても無交流よりはよい、みたいな議論はここではしない

*2:交流を軽視し、受験勉強に注力するなど。実在や、その頻度は不明