"「Aを批判するなら、Bも批判すべきだ」というのは低レベルな人格批判"

それなのになぜ「Aを批判するならBも批判すべきだ」のような無理筋で卑怯な主張がなされるのだろうか?理解に苦しむ。

http://anond.hatelabo.jp/20090618111246

 場合によるな。


「社会通念上、法制上、違法だが、有限リソースであり、検挙が部分的になる」場合と、「社会通念や、法の運用基準が明確でなく、その社会通念自体、法の運用基準自体が問題となる」場合の差が気になる。

 現行犯逮捕された泥棒の、「他に捕まってない奴もいる。俺だけを捕まえるのはズルイ」という主張は、コスト論、有限リソース論で排除できるけど、ある種の社会活動家が、軽微な(と、俺は思う)駐車違反でネコソギ検挙されたり、書類の非提出で送検されたり、マンションの駐車場をショートカットして住居侵入で逮捕されたり、ポストにビラを入れて起訴されたりする出来事を目にしたなら、「田舎の集会で駐車している車に駐禁つけるなら、都市近郊の車も全部駐禁つけろよ」とコメントするかな。
 
個人的には、微罪逮捕には「なんだかな」と思うのだが*1、「法律は法律。運転免許なんて、重大な免許を受ける以上、道交法は暗誦しろ。住所変更の必要性に迷ったら、弁護士か免許センターに問い合わせろ。法律上、逮捕拘留が許されている以上、たたりだと思って耐え忍べ」とは思わず、「実家の免許で免許使ってる奴全員逮捕しろよ」とコメントしたくなるのは、

まともな頭が

無いためだろう。うん。