http://d.hatena.ne.jp/namiki_h/20061019/1161206265
いじめの現場に立ち会う教師の言葉としての「家庭教育」はその場には及ぶはずも無く、無能な馬鹿教師がいじめられる子供を救えないのならば親としてとりうる手段は「子供を社会から隔離する」もしくは「事実を理解させがまんさせる」しかないのである。
いじめを認定し、いじめられた生徒をどこか全寮制のフリースクール(県立のフリースクール、というのも変だけど、県に一つくらいあってもいいだろう)に送り込んで、のんびりネットサーフィンでも2chでも読書でもやってもらおう。勉強していてもいい。PS2はいいけれど、エロゲは問題だろう。本人には辛いかもしれないけれど、パンツ降ろされなければ、とりあえず自殺はしないのではないかな。そうすれば、両親と同級生も助かる。閉ざされた自己実現は、Rubyでも勉強することで、なんとかしてもらおうことにしよう。
でも、簡単に言えば、いじめられた生徒とか、場合によっては空白になった机、そういうものを利用して教室秩序を保っている学校関係者が、対策を取ることはありえないだろうなぁ。私は法曹関係には疎いけれど、きっとイジメ認定1024項目、とかがあって、それを全部満たして三審を経ないと、強制力を持った対応ができないのかも。推定無罪で人権擁護だもの。
ただ、なんというか、教師側に与えられた権限、リソースの縮小については寂しいものがある。
日本人は欧米と比べ”褒める”という行為について非常に消極的でありほめることが出来ない、すべては「当然」であり「出来なくてはならない」よって「正しく褒める技術」にも欠ける
他人を褒めるのには、リソースを消費する。金も、知識の優越も、保護者の尊敬も無い現代の教師が、リソースを捻出するのは大変だろうな。逆に、誰かを排除するには殆どリソースを消費しないし。