できる、できない

理系は「技術的にはできる(が、非現実的なコストが掛かる」
という語法を好むという伝説がある。


このへん、可能不可能を外在化するのが理系で、内因化するのが文系なんかなーと思った。


なんていうか、喩えていうと、修理に預かったクルマを機械でザーッと洗車するような無料サービスをやっているとして、たまに「手洗いでやってくんね?」って人が出るのだがそういうときに「技術的には可能だが、やりたくないのでヤダ」と答えたくなるのだ。