https://anond.hatelabo.jp/20170822073915
一般にジョークは、「聞き手にある状況を提示し、とある想像をさせ、そのイメージを膨らまさせる。そして、最後に、実はそうではないのだという、聞き手が予想していた状況とは異なった状況を提示する。」という三つの段階を持つ
http://www.pu-kumamoto.ac.jp/~tosho/file/pdf/kinb/3/308.pdf
言い換えれば、ジョークは、どちらかに定まらない ambiguous な script を、読者もしくは聞き手に提示し、まずは、ある解釈をさせておき punch line でその一方のscript から他方の script へ決定的にすり替えるものである。
聞き手をあるscript に引き込み、そして trigger によって、もうひとつ別の script へと誘うところにジョークの真骨頂があるのであり、ここに jokester の、話し手としての「テクニック」もまた要求される。
また、ふたつの scriptのズレ --- もう少し正確に言えば、二つの script の対立性と関連性 --- を感取するために必要となるのは、双方の script に関する「知識」であり「経験」である。ジョークの「落ち」を味わうことで、聞き手は自分の持つ固定観念や常識に刺激を受け、その刺激に伴う快感や喜びを感じるのである。
http://www.pu-kumamoto.ac.jp/~tosho/file/pdf/kinb/3/308.pdf
受け手が持つ、複数の固定観念の間の”ズレ”がオチであり、楽しさなんで、固定観念が少なめな人には面白くないかもしれない。そんで、固定観念の最たるものが、「差別」なんで、「民族ジョーク」は面白い。
ちな、俺の大好きなユダヤジョーク。
人間とは何か。
モーゼは、頭を指した。理性である。
キリストは、胸を指した。心である。
マルクスは、腹を指した。胃袋を満たすために働く動物だ。
フロイトは、その下を指した。
指す場所が無くなった、アインシュタインは言った。
「すべては相対的だ」
http://d.hatena.ne.jp/REV/20051018/p7