常識の共有を前提としない

"「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」"
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20161221/p1


平成までの時代であれば、

  • 罪を認める→その罪で微罪
  • 罪を認めない→非常識罪で重罪


という雰囲気だったけど、平成以後は

  • 罪を認める→その罪で微罪
  • 罪を認めない→犯意がないから無罪

っていう印象。


 自動車事故も、「知らなかった」「気付かなかった」という弁解が多いのは、「気づかないような不注意な人間は、クルマを運転する資格も、社会共同体に△する□もない、じゃなくて参画する資格もない」って言われる心配が皆無だからじゃないかな、って思ってる。あとは、「犯意の立証」って拷問でもしない限り困難であり、「犯行が存在する状態で、犯意を否定しても、非常識罪に問われない」状況ではトボけたもの勝ち。もちろん、否認を「お上に反抗する大罪」とする思考は冤罪の温床なのだけど。



 あ、「罪刑法定主義」を持ち出す人も多いけど、そういう人に限って、「無罪」にしたくない刑事事件ではない社会問題には「推定無罪」を引っ込める予感が。