共有地のジレンマ的な

高い技能を必要とした労働集約的な「製品」を、高価格・高利潤で販売していた時代があり、その周辺に人々が集まっていた。書籍とか、音楽とか、その他色々。


で、技術の進歩で、その製造流通が容易になった時代が90年代で、それが文化の最盛期だったんじゃないかな。ところが、その技術の進歩は、ユーザーサイドでの「製造」や「流通」をも容易にしていった。それが、2000年の頃から。80年代、90年代、そんな時代を見て投資されたものは多く、時代が変わったからといって、回収が済んでいないものを捨て去るわけにはいかない。

んでまあ、それを二束三文で売り払おうと持ち掛けるのが、定額なんとかサービスって印象。



こう、業界人が、「俺らが使うから、ここに溜池つくろうぜ」って水を溜めて大慈に使っていたところに、横から「ネットは自由だぜヒャッハー」と、鉄パイプ打ち込んで水浴びしている、そんなイメージ。



高規制・高価格・高利潤の業界に、風穴を開けると、開けた瞬間はプシャーと、高品質のものが低価格で供給されるけど、在庫が掃けると、低価格・低利潤に相応の製品しか無くなる、そんな予感。