自動車のたとえ


エンジンとか、ブレーキとか、シャシーを作ったことがある、としよう。「お前ごときが、比喩にでもそんなことできると騙るなど烏滸がましい」っていうのはご容赦を。
「エンジンとか、ブレーキとか、シャシーを作ったことがある。自動車作るなんて簡単だ」と思いがちになる。
で、エンジンとか、ブレーキとか、シャシーを作ってはじめて気がつく。
「部品が足りない…」
組み立てようとして、エンジンマウントの場所とか、全然合ってないことにやっと、気がつく。組み立ててないので、不整合・不足に気づかないのだ。ハブがあっても、サスのアームが無いとか、ミッションはあっても、クラッチが無いとか。


そんで、やっとの思いで組み上げてみると。
「動かない…」
カップリングが違うとか、ホイルが5穴でハブが4穴用とか、そういうのが違うと動かないのだ。たぶん。組み上げてないので、結合の不具合がわからないのだ。
そんで、ダクトテープなんかを貼りまくり、微速前進までに漕ぎ着ける。たいがい、俺のできるのはこのへんまで。


「動くけど、走らない…」
バランスが合ってないと異音出まくり、振動震えまくり。サスもアライメントが合わないっていうか、設計がタコだと、ゆっくり歩く程度ならともかく、小走り程度になると安定性が破綻してくる。動かしてないので、そんな出来事が起こるとは思ってもいない。しかし、時間切れで対策どころではない。もし、それで対策できたと仮定すると、


「走るけど、曲がらないし止まらない…」
と、重心が前とか後に偏り過ぎているとか、タイヤがプアすぎる(ファットすぎる)とか、そんな欠点がでてくるだろう。(すくなくとも自分は)走らせてみるまで、そんなことが起きるなんて思ってもみないからだ。


そして、おそらく、それを解決して時速20kmくらいでサーキットを走れるようになると、
「走れるようになったけど、これ、根本的におかしくね?」
と、やっと、スポーツカー用のエンジンに、セダンのシャシーSUV用足回りのクルマの可怪しさに気がつくかもしれない。とにかく走ることに注力して、そんなとこまで気づく余裕が無いのだから。



最初から、完成形がイメージできる人もいるし、ある段階まで進まないと、何が必要で、何を目的とするべきかワカンネ、って俺もいるって話で。